もめん針で傷の縫合をしたんです

太平洋戦争の敗戦間近い7月4日、徳島市は米軍のB29爆撃機による空襲を受け約1000人の方が亡くなり、負傷者2000人を数え、市内の62%が焼けたと記録されています。私が代表委員の1人を務めている反核・憲法フォーラム徳島は、毎年この7月4日に「徳島大空襲を語るつどい」を開催しており今年で12回を数えます。昨日は土曜日だったので昼間に開催したこともあってか予想を大きく上回る140人の方に参加いただきました。

今回は3人の方に語りべをお願いしました。自宅前の田に落ちていた焼夷弾の残骸を持参し自宅や近所に落ちた焼夷弾による火災を防いだ体験を語ってくれた方、降りそそぐ焼夷弾の中を逃げまどった旧制中学3年生当時のことを話してくれた方、また当時看護婦をされていた方、3人とも生々しい体験談の最後は「もう戦争はこりごりです」の言葉で締めくくられました。看護婦さんだった志満さんは、当時20歳。川に飛び込み何とか助かった後、仮救護所で不眠不休で水だけ飲んで空襲で焼けただれた人たちの処置にあたり、傷を縫合するにも木綿針や布団針で代用したこと、暑いさなかなので傷口にはウジ虫がわき悪臭が漂っていたこと等を訥々と語ってくれました。
会場からもたくさんの体験談が報告され、みんなで不戦の誓いを新たにしました。
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