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2003年10月31日 (金)

火災の原因

 「火災の原因の一番は何でしょう(県全体か東消防署管内か聞き忘れました)?」先日、事務所が入っている労働福祉会館で築31年にして初めてという防災訓練があり、消防署の方が参加者に問いかけました。「タバコ」と答えた男性にそれは2番めですと。
 何と、一番は放火だそうです。しかも、放火件数というのは不景気の指数とピッタリ一致するのだそうです。だから、昨今は増えているとのこと。人心がすさむのでしょうか。ちなみに放火に遭わないためには家の周りに燃えやすいものを置かないことが大事とか。家の内外ともに片付かない私には耳の痛い話でした。

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2003年10月29日 (水)

9プラス25

 昨日は衆議院議員選挙の公示。私は朝から兵庫一区に立候補した原和美さんの出発式に行ってきました。彼女とは同じ全逓、しかも貯金局勤務だったという共通点もあり、なにより、今回の立候補という決断にひとこと敬意と応援を表したかったので「檄」を抱いて行きました。
 元町駅前での第一声で、力一杯、護憲勢力の総結集を訴える彼女に万感を込めて拍手を送ってきました。
 原さんは、「9プラス25改憲阻止市民の会」からの立候補ですが、これは言うまでもなく、9条(戦争放棄)と25条(生存権)です。選挙カーには「大切なのは平和といのち」としっかりと書かれていました。

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2003年10月26日 (日)

モノが言えない

 今日は「第43回いのちとくらし・平和を守る女性集会」でした。この集まりは。39回までは徳島県母親大会として開催していました。(同じ名前で別の実行委員会の集会が今も続けられています。)でも、「母親」になれない・ならないことでの差別、役割分担に対する疑問等々から、私が事務局を担っている実行委員会では3年前から名称を変えました。 
 今日の1部でコンサートをしてくださった田中哲朗さんは22年前に沖電気を解雇され、それ以降、毎朝その会社の門前で歌を歌い抗議し続けている方です。語りも歌も、「会社の中で自分の意見が言えない時に、戦争反対の声があげられますか」との思いが貫かれていました。
 自分の意見を言うのに名前を出せないという人は何が恐いのですか、それで殺されはしませんよとも言われました。
 

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2003年10月23日 (木)

ストライキ

 全日本港湾労働組合(全港湾)徳島支部が今朝8時から2時間の時限ストを実施しました。2004年度中に予定されている徳島、小松島港など全国85地方港の規制緩和策を盛り込んだ港湾運送事業法改正に反対してのものです。県内でもまれにしかないストライキのためか、今日の徳島新聞夕刊にはカラー写真付で大きく載りました。今日は黒い服で判りにくいのですが、赤い腕章を巻いて「ガンバロー」をしているのが私です。
 昨日の海外労働情報では、「ロンドンで16日、ロイヤル・メール(郵便局員)3万人と自治体職員6万人が24時間ストライキに参加」と書かれていました。
 私は、連帯のご挨拶の中で、そのことと労働者派遣法の改「正」時にも全港湾の皆さんがストライキで闘ったことにより港湾部門での改悪に歯止めをかけたことについて述べました。まさに闘うことによって自らの職場と権利を守っている労働組合です。

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2003年10月22日 (水)

県議会「男女参画プラン」歯止め決議

 今日は徳島県議会の閉会日でした。昨日書きましたが、ここに異例の決議案が提出され、しかも賛成多数で可決されました。今日は名称を変えて「真の男女共同参画社会の実現を求める決議」となり、中身も「わが国の伝統・文化を守ること」「混合名簿導入については慎重に扱うこと」などが削除されての提案となっていました。もちろん、本質はなんら変わっていません。
 今朝、I(アイ)女性会議県本部として(私は事務局長をしています)高橋議長らと相談の上、徳島県議会の見識を疑われる重大な問題だと強調し、この決議を採択しないようにと県議会議長宛に申し入れをしました。(今日の徳島新聞夕刊に既報のとおり)
 県内外からも多くのFAX・メール・電話が議会事務局に届けられたようです。結果的には採択されてしまいましたが、今やっと県民の皆さんに男女共同参画社会基本法や推進県条例、そしてプランという言葉が届き始めたところです。運動はこれからだと思っています。 

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2003年10月21日 (火)

男らしさ女らしさを否定しない県議会決議??

 9月県議会は明日閉会となります。ここに「男らしさ女らしさを否定しない決議書」なるものが提出されることになりました。例によって、昨日もモニター室へ委員会傍聴に行きました。昨日は予備日ですが、みっちりやる(来代委員長の言)ということで8日に引き続いての審議でした。
 自民党を中心に、このプランの、中でも男女混合名簿に対して反対意見や慎重意見が相次ぎました。本会議での代表質問・一般質問、そして、総務・文教・人権対策の各委員会で、本当に繰り返し繰り返し同じ質問が出されました。男女混合名簿をなぜ導入するか、いき過ぎたら困ると。議会の場だけでなく、昨日の質問では自ら「教育長と2人で5時間話した」ということまで披瀝されました。
 一日も早い「とくしま男女共同参画実行プラン」の策定を求めている「男女共同参画社会をすすめる会」(代表世話人 高開です)は、昨日、飯泉知事と県教委に対して、応援要望書を提出しました。
 毎日、議会に通ってメモをとり、整理をし、みんなに情報発信し、・・・、落選した悔しさを今ほど噛みしめているときはありません。

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2003年10月16日 (木)

世界食料デー

 今日は世界食料デーということで、JR徳島駅前で農協労連(農協やその関連団体で働く人たちで組織する労働組合)の皆さんが街頭アピールを行いました。私も「食と農を考える徳島ネットワーク」の代表委としてマイクを握りました。
 世界食料デーは第二次世界大戦が終結した1945年の10月16日にFAO(国連食糧農業機関)が設立されたことを記念した日です。戦争と飢餓のない平和な社会の建設を目指し食料の安定生産・供給のためにFAOの活動を拡げるという意義を持つ日だということです。
 私は、食の安全・安心ということから、BSE(いわゆる狂牛病)、そして食品表示に関わる不正表示、遺伝子組み換え食品の問題点、そして地産地消について述べました。
 ファーストフードからスローフードへ、忙しさに追われると必ずしも思うようにはいきませんが、心がけてはいます。

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2003年10月14日 (火)

バリアフリー

 12日、福島智講演会「盲ろう者とバリアフリー」に行きました。つい先日、テレビでも放映されたそうですが、9歳で失明し、18歳で失聴した盲ろうの東京大学助教授です。
 質問で出された「心のバリア」ということについて、2つの意味があり、ひとつはコミニュケーションがうまく取れないとき、もうひとつは「差別」を柔らかい言葉で言い換えただけだであると指摘しました。
 また、障害者の権利について、こんな例をあげました。四国に橋がかかった。車で行き来できるようなった。みんなが働いた税金から作られた橋だ。だからといってこの橋を渡っていいのは、正直ないい人ばかりでなければいけないということはない。
 しかし、障害者に対しては、人間性が問題にされる。あの人はみんなの世話になっているのに、税金で面倒みてもらっているのにと、とやかく言われる。もっと、権利の視点が必要だと言われました。
 盲ろう問題をテーマにした劇もあり、ずいぶんと考え込ませていただきました。

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2003年10月12日 (日)

「従軍慰安婦」

 昨日、「戦争の記憶と向き合ってーー『慰安婦』問題の検証」をテーマに、鳴門史学会の公開研究大会が県立博物館で開催され、中国の農村で聞き取り調査を進めている岡山大の石田米子名誉教授が講演されました。
 中国人女性として初めて日本軍による性暴力被害を公にした万愛花さんと出会い、彼女の住む村を尋ね、今まで18回に及ぶ聞き取りを重ね、聞き取ったこと、その裏づけ資料、そしてそれらに対する考察が述べられました。
 会場からは、中国戦線に行っていたという方が公の場で発言するのは初めてだがと軍の方針と実態について話され、出征していた人から自慢話として強姦・虐殺の話を聞いたという人の発言もありました。一方、東京裁判は勝者が裁いたものでありちゃんちゃらおかしい、南京大虐殺はなかった、強姦は日本軍だけでないなどの意見も多く出されました。
 こうした時代だからこそ、歴史にしっかりと向き合うことが求められていると思います。

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2003年10月 8日 (水)

八の日行動

 今朝は「八の日行動」でした。1941年12月8日の真珠湾攻撃の日を忘れず、「2度と戦争による被害者にも加害者にもならない」との決意をこめて、毎月8日の朝7:30から、JR徳島駅前などでビラまきとマイク街宣をしているものです。
 1982年12月8日から、かかさず平和を願う女性たちと行動を重ねてきましたが、私たちの思いや運動とは裏腹に事態はどんどん悪くなっています。今年の広島平和式典で秋葉忠利市長は「時代はまさに戦後から戦前に大きく舵を切っている」と日本の現状への危機感を表明しました。運動を始めたころは、今月のビラは何をテーマにしようかと考えることもありましたが、とくに1999年の新ガイドライン関連法成立以降は、毎月1度のビラでは追いつかないほどの大変なことが続いています。
 いつも元気な私ですが、ふっと無力感を感じることもあります。
 

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2003年10月 3日 (金)

県議会傍聴

 3日連続で県議会の傍聴に行ってきました。「落ちたんが何しに来とんな」と思われそうなのですが、男女共同参画に関連する質問が続いたものですから。
 「男女共同参画実行プラン」「男女混合名簿」に対して推進、反対の立場からそれぞれ知事ならびに教育長などの考え方が質されました。とくに初日の竹内議員(自民県民会議)は再々問まで行い、かなりの時間もエネルギーも費やしたものでしたが、地元紙の扱いでもそう大きなものではありませんでした。やはり、汚職問題調査団報告書や副知事提案と比べれば、小さなテーマということなのでしょうか?
 ちなみに、竹内県議は、質問に入る前に「こうして前に立つと20何年やってこられた先輩の顔が見えないことがさびしい。2人の抜けた後を会派のみんなで死にもの狂いで埋めていく」というようなことを述べられました。自会派の2人ともが繰り上げ期間経過後に辞職し、次点者の繰上げ阻止をしたことには言及はありませんでした。

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