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2003年11月30日 (日)

9月議会傍聴記録

このノートにも9月定例会での「男女共同参画」に関する議論を何度か書きました。私が傍聴に詰めていたことをご存知の方から内容について、個人的にお問い合わせいただくことも少なくありませんでした。
そこで、すでに11月定例会も始まり、かなり遅い気もしますが、私のホームページに議論の状況を掲載しました。「はじめに」にも書きましたが、県議会本会議の正式議事録はいずれ公表されます。委員会討論も事務局の作業ができれば情報公開請求で手に入れることができます。
というわけで、今年中の期間限定としてアップしましたというお知らせです。

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2003年11月26日 (水)

少年マガジン

 21歳の息子(パン職人をめざして3年目)が、少年ジャンプと少年マガジンを毎週買っています。私は、それを2~3週遅れでところどころ読みます。マガジンの「クニミツの政」はわかりやすく政治家と業者の癒着などを書いておりおもしろい漫画です。
 そのマガジンが11月26日号(第50号)で、60ページをさいてドキュメントコミック「汚れた弾丸」と題して、劣化ウラン弾の問題を扱っています。フォトジャーナリストの森住卓さんへの取材をもとにしたものです。なぜ劣化ウラン弾が登場したか、その影響は、今のイラクの状況は、などわかりやすくまとめられています。
 たかが漫画雑誌と侮るなかれです。

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2003年11月21日 (金)

丹生谷(にゅうだに)

 昨日のキャラバンは那賀郡でした。私の生家は相生町で、国道195号線から1KMほど入ったところです。那賀郡は鷲敷町、相生町、上那賀町、木沢村、木頭村の5町村ですが、地元の人たちは、「丹生谷5か町村」と呼びます。丹生谷とは「丹の産出される谷」から来ているとある本で読みました。他県にも丹生という地名がありますが、「丹」とは、赤土のことで、朱の鳥居や橋などを「丹塗りの○○」などという使い方をします。
 江戸時代末期に、この丹生谷地方で百姓一揆が起き、その指導者の一人に兵助という人がいました。この人の実兄が角右衛門という宮大工で、私の生家はその末裔です。
 小さいときによく祖父からこの一揆の話を聞かされたことが今の私の生き方にも影響を及ぼしているのかも知れないとふと思いました。

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2003年11月17日 (月)

死ぬな殺すなキャラバン

 今日から秋の県内キャラバンを始めました。今回のテーマはもちろんイラク派兵反対。
 今日は、勝浦郡2町。例によってボランティアの方たちに助けていただいての行動です。上勝町旭で、わざわざ出てきて聞いてくださっていた男性が「わしはずーっとバスにいっきょんたんで、昔から社会党じゃ。がんばりなよ」と声をかけてくださいました。トラックやバスの運転手さんのクラクションを鳴らしての応援や前を歩いて通る人たちの会釈もたくさんいただきました。
 街宣車の前看板に「可動堰反対」をつけていたころ、新社会党とかマイクを握っている私にというのでなく、この看板への応援が多かったことを思い出しました。今日の応援も「平和を守ろう」の看板への応援の方が多かったように感じました。
 どこが誰がでなくていい、とにかく戦争反対の声を広げなくてはと痛切に感じています。

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2003年11月14日 (金)

とくしま男女共同参画実行プラン策定

 昨日、第2回徳島県男女共同参画会議が開催され、例によって傍聴に行ってきました。
 今年度第1回が6月16日でした。その会議で、参画会議からの答申を受けてまとめた県の実行プラン案が示され、再度それに対して各委員から意見が出され、それも反映して、最終案を議会に報告したうえで策定することを確認していました。だから、6月議会の後、7月か8月にはプランがスタートするはずでした。
 ところが、6月議会も9月議会もおおもめにもめ、意見書までつけられてやっと11月7日に策定に至ったわけです。
 「女子ども」のことだからと(?)議論もされずに満場一致で決まった徳島県男女共同参画推進条例と反対意見沸騰の末に策定された実行プラン、趣旨は同じなんですけどね。

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2003年11月12日 (水)

ブーツオンザグラウンド

 今朝、掲示板のチェックをしようとHPをあけたら、大変な誤りを見つけてしまいました。顔面真っ青状態。
 昨日のノート、「ブーツオンザグラウンド」と書くべきところ、「グラウンドオンザブーツ」になってました。謹んで訂正し、お詫びします。
 今日の徳島新聞1面には、ラムズフェルド米国防長官の訪韓とイラク派兵に抗議する韓国での集会の模様が出ています。韓国では在韓米軍の削減を協議するとも言われており、アメリカは削減した分を沖縄に移転し、朝鮮有事を睨んで東アジアの米軍10万人体制の再編を狙っているそうです。15日には日本にも立ち寄るということで、選挙結果を受けて強気の小泉総理、何でも引き受けそうで、不安でたまりません。

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2003年11月11日 (火)

どこに立つ

 総選挙が終わりました。マスコミの予想通り(企図したとおり)、社民党と共産党は「政権選択」選挙からはじかれてしまいました。自民党も民主党も改憲を掲げています。平和の足元が液状化現象を起こしてきているようで怖くてたまりません。
 イラク派兵に向けて賞恤金(しょうじゅつきん)を引き上げて(特別褒賞金を加えて1億円)、後顧の憂いなく死ねと言わんばかりの準備がどんどん進んでいます。政治家の2世3世が今選挙でも多く当選しました。「グラウンドオンザブーツ」だと自衛隊員は戦場に立たせ、我が子は安全な赤じゅうたんの上に立たせる。余りにも筋の通らない話だと思うのですが。
 

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2003年11月 7日 (金)

わかってもらってこそ

 とくしま女性問題研究会「アドバンス」の主催する「男女共同参画社会づくりのためのシンポジュウム」がありました。倉敷市からバスでお越しの「イーブくらしきネットワーク」の皆さんと、そのバスに同乗されてきた「香川県海外派遣女性の会」の方3人をお迎えしての交流会でしたが、皆さんの熱意に圧倒されてしまいました。
 そのなかで、倉敷の皆さんが、男女共同参画コント笑百科「自分らしく生きるって?」を上演してくださいました。今までに30~40回も演じたことがあると言われるだけに、上手なだけでなく、どう観客にわかってもらうかと脚本を練りに練っていることが伝わってきました。
 さまざまな企画にかかわる機会が多い私としては、わかってもらう工夫、何にでも求められると痛感しました。
 

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2003年11月 4日 (火)

伝統・文化

 県議会の男女共同参画の議論をまとめたジェンダーイコール第2号を発送しました。「男らしさ女らしさを否定しない」議会決議で、当初案より削られた3項目の中に「我が国の誇る伝統・文化を守ること」という一項がありました。何をさして伝統・文化というのか判らないので、そんなにも伝統が大事な方たちは、ちょんまげ結って羽織はかまで生活されたらとひそかに揶揄しておりました。
 ところが、昨日の佐野先生ご持参の「心のノート」(文部省が11億円かけて全国の小中学生に配布した)を見せていただいたら、「伝統」というページがあり、そこには和服、和食など載っていました。
 私の直感もまんざらでもなかったと思ったところです。

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2003年11月 3日 (月)

11月3日という日

 今日は反核・憲法フォーラム徳島主催(私は代表世話人の一人です)の「11.3憲法公布の日 講演会」でした。植民地教育史研究会代表の佐野通夫代表に講師をお願いしました。
 11月3日は「文化の日」。なぜ?戦前の明治節(明治天皇の誕生日)にあわせて新憲法を公布し、この日が今も祝日として存在していること、さらに、この日は大韓民国では「学生の日」であるという導入から、戦後、どのように「旧植民地」の人を「切り捨て」てきたかも、法令の制定を追いながら説明いただきました。
 そして、教育基本法の改悪の動きや「心のノート」に見られる今の日本の状況についても鋭く指摘されました。徳島県議会での男女共同参画へのバックラッシュとぴたりと重なるお話でした。
 

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2003年11月 2日 (日)

いとこ会

 父には姉妹が5人いますが、その配偶者も含めて全員健在です。私のホームページのアルバムのトップに出てくる実兄が4月に工学博士となり勤務先の阿南高専の教授にもなりました。
 そのお祝い会を口実にして、おじ・おば・いとこみんなで集まろうとなり、今日、総勢30人が一同に会しました。兄自身は晴れがましいことは逃れたいという感じでしたが、配偶者も含めてみんなが集まる機会は、これからは誰かの葬式になってしまうからという話まで出て、今日の開催となりました。
 歌あり、踊りあり、本当に楽しい一日でした。でも、私の祝賀会も一緒にできたらよかったのにと何人にも言われたのはつらかったです。
 

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