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2003年12月30日 (火)

どうぞ良いお年を

 今日から病院3連泊なので、今年のノート記入もこれで最後です。
 今年は、なんと言っても4月の県議選がもっとも大きなできごとでした。残念な結果になった後も、柴田県議の逮捕という事態で繰り上げかと7月まで皆さんにご期待とご心配をいただきました。本当にありがとうございました。
 後半は自衛隊のイラク派兵阻止行動、そして、12月半ばの母の緊急入院とバタバタと終わってしまいました。家族も含めて健康でいてこそ運動にも全力をあげられることを痛感しました。
 来年も力一杯がんばりますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします。きたる2004年が皆様にとってすばらしい年になりますようお祈りいたします。
 

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2003年12月28日 (日)

年のせい?

 母の緊急入院が今月12日、22日には日赤病院に転院、24日に手術、相変わらず予断を許さない状況が続いています。50歳の誕生日もクリスマスもバタバタしているうちに過ぎてしまいました。この分ではお正月も病院でということになりそうです。 昨日から大阪にいる妹が付いていてくれるので、今のうちに、明日のイラク派兵反対の早朝ビラ作りに走ってきました。ところが、県本部事務所が入っている労働福祉会館のエレベーターが工事のため、階段を使うしかありません。5階まで歩いたら、息が上がってしまいました。昨年の今頃は連日歩き通しでも疲れを感じなかったのですが。

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2003年12月22日 (月)

 12月20日付け徳島新聞3面の「人」欄に登場している湯城豊勝(ゆうきとよかつ)は、私の実兄です。高専教員顕彰全国一席になったとのことで。
 新聞掲載にあたって記者に兄が留意して欲しいと頼んだことは二つあったそうです。一つは、「建設システム工学科」を書くこと、学生募集に役立てばとの狙い。
 もう一つは、名前のふりがなです。私も「湯城」姓で23年間過ごしましたが、読んでもらえない、「湯浅」と間違えられる等苦労しました。まだ、夫婦別姓の議論などなかった30年も前には、結婚するなら(夫の姓を名乗ることを当然と考えていたので)読みやすい姓の人と思っていました。
 でも、結婚した人は、これまた読んでもらいにくい「高開」でした。「たかびらき」「こうかい」などと呼ばれることがあります。

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2003年12月19日 (金)

ご心配をかけました

 母のことを書いたものですから、数人の方からお見舞いの電話やメールをいただきました。ありがとうございました。
 少し落ち着いてきましたので、今日も病院からの出勤です。今まで、介護保険制度などについてもよくマイクで言ってきましたが、実際に経験するとその大変さがよくわかります。まだ、1週間にしかならないのに、病院まで往復する運転中の眠いこと。
 私の場合は、叔母も多いし、明日は妹が大阪から来てくれるので助かりますが、一人で抱え込まざるを得ない人は本当に大変だと痛感しました。

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2003年12月16日 (火)

どんな誕生日に

 しばらくノートに向かうことができませんでした。12日(金)、海部でキャラバン中に兄からTEL.あり。母が入院した、たいしたことはないが、知らせておくとのこと。キャラバンを早めに切り上げて、帰途、病院へ寄ってからが大変。
 土曜には親族一同集まってもらうところまで。今朝はなんとか落ち着いています。そこで、おばに付き添いをちょっと頼んで、事務所へ。数十件のメール対応と文書整理をして、今からまた病院です。
 あさって18日は、私の50歳の誕生日。今年7月13日の夫の誕生日は、選挙違反者の辞職があれば繰り上げ当選となる期間の最終日でした。結果は、辞職届けが7月15日に提出され、繰り上げとならなかったことは皆様ご承知のとおりです。
 はてさて、私の誕生日はどうなることか。 

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2003年12月10日 (水)

抗議FAX

 昨日、政府はイラクへの自衛隊派兵の基本計画を「正式決定」しました。小泉総理が閣議後に記者会見を行い、「国民への理解を求め」ました。
 とうてい理解できません。派兵そのものに頭から反対している私だけでなく、あの説明では説明になっていないと思った方も多いのでは。ある若い男性からは「テレビ中継を見て、膝が砕けました」とメールをいただきました。地元紙の徳島新聞社説見出しも「首相説明 納得できない」です。
 今から、小泉総理宛の抗議FAXを送ります。ちなみに総理官邸のFAX番号は、03-3581-3883です。

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2003年12月 8日 (月)

12月8日

 1941年12月8日、真珠湾攻撃から62年です。今日は、7:30から「八の日行動」、9:00から「八の日・平和を守る女たちの会第15回総会」でした。1982年12月8日から続けてきた女性たちによる平和行動は今日で丸21年を迎えました。
 今日、総会でお話し頂いたのは、竹井幸さんという女性。敗戦間近の7月30日、那賀川鉄橋で米軍機の襲撃を体験された方です。今まで、58年間、夫にも子どもにも話したことがなかった体験談を綴ったものが今夏の徳島新聞に掲載されました。ひと前で話すのは今日が初めてとのこと。
 今まで、思い出すのも怖く、亡くなった方に申し訳ないとの思いで、ずっと胸に閉じこめてきたという彼女になぜ語る気になったかと問うと、今のこの世相だと答えました。平和を守るために悲惨さを伝えねばいけないと思った。語ることによって自分自身も呪縛から解かれた気がするとも言われました。

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2003年12月 5日 (金)

恩師つながり

 城東高校3年生の時に担任していただいた高橋啓先生が鳴門教育大学の学長に就任されることになりました。
 先生には10月に、鳴教大の「従軍慰安婦問題」公開研究大会でお目にかかりました。8月には、徳島歴史講座「江戸時代の女性たち」でお話をうかがう機会もありました。先生は未だに、旧姓で「湯城」(ゆうき)と私を呼ぶ数少ない人のうちのお一人です。
 その高橋先生に徳島市立高校時代に担任してもらったというのがZ労組のN委員長です。そのことがわかってから、それまで以上に「ごひいき」にしていただいています。先生のご存じないところで、「恩師つながり」でずいぶんお世話になっている次第です。

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