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2004年1月27日 (火)

一人から始まるアクション

 いよいよ陸上自衛隊本隊に派遣命令が出されました。今、自衛隊をイラクに送ることは、自衛隊員を危険にさらし、自衛隊員がイラク国民を殺すことにもなります。暴力と憎悪を深めるだけです。黙って見過ごせないという女性たちが「イラク派兵に反対する女たちの会」をつくりました。池田香代子さん、中山千夏さん、吉武輝子さん、川田悦子さんらの呼びかけによるものです。
 私も賛同人の一人に名を連ねています。そして、「八の日・平和を守る女たちの会」でも今日代表者会議を開き、この呼びかけに応えて行動することにしました。
 具体的にはハンカチに一人一人が思いを書いてもらうアクションです。そして、そのハンカチを来月8.9日に派兵の中心部隊となる旭川の第二師団に申し入れに行く時に持ち込みます。徳島からは私が参加することになりました。今日から早速メッセージハンカチを集めています。 
 平和を愛するあなたの気持ちを、トップに書いてある私の事務所宛お送りください。

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2004年1月26日 (月)

明日死ぬとすれば

 昨日、「森のしずく、海へ」のタイトルで第2回流域シンポジウムが徳島市文化センターで開催されました。一昨日から新社会党の中央委員会のため上京していて飛行機が心配だったのですが、ぎりぎりで間に合い参加することができました。
 環境問題で有名なC.W.ニコルさんの話、四国一小さな町である上勝町からの報告、そして、加藤登紀子さんのトーク&ライブという盛りだくさんの内容でした。
 たくさんのメッセージをいただきましたが、一番心に残ったのは「もし私が明日死ぬなら、今日木を植える」というニコルさんの言葉でした。もし、私が明日死ぬなら、今日私は? 私はマイクを握って平和を訴えたいと思います。

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2004年1月21日 (水)

自衛隊誘致

 防衛庁が松茂町に陸上自衛隊のヘリコプター飛行隊(ヘリ7機、約80人)の配備を計画していることが先日発表されました。現時点では町長も町議会も反対の姿勢を表明しています。今までも騒音被害に苦しんでいるのに今回事前説明もなく計画が先に提示されたことにとくに反発を示しています。
 この計画は、善通寺市の陸自第2混成団が旅団化されることに伴うものですが、これまで高知県香我美町や安芸市と誘致合戦を繰り広げてきた那賀川町へは新たに駐屯地が配備されることとなりました。
 そもそも、善通寺の旅団化は、対ソ連の防衛構想が朝鮮半島有事に備えてと変わったことによるものです。地震の時に安全だとか町が活性化すると自衛隊誘致を唱えたのは詭弁です。

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2004年1月19日 (月)

世論調査

 共同通信社が陸上自衛隊の先遣隊派遣を受けて17,18両日に実施した全国電話世論調査の結果が報道されています。
 それによれば、イラクへの自衛隊派遣に反対が51.6%、賛成12.8%とのことです。同時に内閣支持率も出されていますが、52.5%と昨年12月より8.7ポイント上昇しているとのこと。支持理由は「ほかに適当な人がいない」が51.6%を占めるということですが。
 本当にこの数字があっているのか、信じられない思いです。イラク派兵がこれからの日本をどう変えていくかみんなわかっているとまでは思いませんが、でも反対がかろうじて過半数というのはあまりにもつらく怖い数字です。

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2004年1月13日 (火)

植民地

 10日(土)新社会党徳島県本部旗開き
 11日(日)アクション111(1時11分にイラク派遣反対の意思表示を「音」でしようという佐高信さんらのよびかけによる行動)
 12日(日)男女共同参画リーダー連絡会研修会「船橋邦子さんを囲んで」と続きました。
 今朝は、6時45分に病院を出て、早朝街宣をしてきました。それぞれ、ご報告したいことが盛りだくさんですが、PCに迎えず、項目の羅列だけになりました。
 そんな中でどうしてもご報告したいことひとつ。船橋さんに「2000年の世界女性会議で韓国の女性から儒教の影響でバックラッシュがおきている報告を聞いたが、今、運動が大変進んでいるという話を聞いた。どうなのか。」という私の質問に、「植民地にされた国と植民地にしてきた国の民衆レベルの差は大きい」との答。「植民地」は決して過去の話でなかったということです。
 

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2004年1月 8日 (木)

君死にたまふことなかれ

 今朝の「八の日行動」は、寒いと思っていたら、途中から霰が降る中での行動となりました。今日のビラには、与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の詩を引用しました。「親は刃を握らせて 人を殺せと教えしや 人を殺して死ねよとて 24までをそだてしや」の部分です。
 与謝野晶子といえば、この詩から反戦詩人と思っている人が多いのですが、私は、そうとは言い切れないと思います。日露戦争に出征する弟に「死ぬな」と謳った彼女は、太平洋戦争に従軍する四男には「たけく戦へ」と詠んでいます。当然、時代も違いますが、その時々にあふれる思いを吐露したのが彼女の作品であるし、それが魅力だともいえます。

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2004年1月 5日 (月)

靖国

 新社会党「月曜の声」、今日から早速スタートです。今日は農協労連の春田委員長もマイクを握ってくれました。
 戦争の20世紀から平和の21世紀へとの願いを込めて始まった21世紀。20世紀以上の大量殺戮の時代になりそうな怖い最初の三年でした。今年も、小泉総理の靖国参拝(しかも、初詣などという姑息な言い訳をして)からスタートしました。貯金局時代の先輩で人間魚雷で死ぬ予定だった人が「社会党は靖国を否定するけど、仲間は『靖国で会おう』と言い合って死んでいった。そこを国が祀るのはあたりまえだ」と言っていました。今、その方に聞いてみたい思いです。「亡くなった方への追悼の場所のはずが、やはり新たな戦死者をたたえる場所になりそうですね」と。

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2004年1月 3日 (土)

同窓会

 おそまきながら、あけましておめでとうございます
バタバタのうちに年を越してしまいました。身内に病人がいるとこんなにも生活リズムが違ってくるのかと痛感しています。
 そんな中でも、昨日は、相生中学の同窓会があり、久しぶりに懐かしい顔に会うことができました。124人のうち、丁度半分の62人の参加。二次会、三次会と朝の3時までやるといっていましたが、私は一次会だけで失礼してしまいました。幹事の皆さんのおかげで本当に楽しい4時間でした。
 若いようでも、みんな50歳。子どもの成人式やら孫の話やら、〇〇ちゃんと昔のままで呼び合いながらも、年月の経過を感じました。

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