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2004年3月29日 (月)

朗読

 昨年秋から佐古の社会保険センターで「朗読」講座を受講しています。ただ、毎週金曜日の夕方なので、会議などと重なることが多く欠席がちの上に、12月からは母の入院となり殆ど参加できずにきています。
 にもかかわらず、昨日、受講生による発表会があり、あつかましくも出させていただきました。私は、澤地久枝さんの「2000年の秋に」に挑戦しました。しゃべるのは仕事とは言え、講演や駅前の街宣とは全く違います。また、歌と違って楽譜がないので、強弱も高低も自分で考えなければなりません。さらにBGMも、どの曲にするのか、どの部分に流すのかということまで自分で決めます。
 しゃべりの勉強になればという姑息な思いで受講し始めたのですが、先輩達の格段の技量も聞かせていただき、朗読の魅力に引き込まれているところです。
 

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2004年3月26日 (金)

立場が変われば

 阿南高専に勤めている兄が阿南市の女性の集まりで話す機会があると言っていたので年配の方が多いのなら是非使って欲しいネタを伝えたことがあります。
 私は失念していたのですが、それが今日だったと兄からメールで連絡がありました。「頷いている人が多く、皆さん心当たりがあるんだろうな」と。
 そのネタとは、私の母の言った言葉です。妹の夫も私の夫も食事や洗濯は当たり前のようにします。もちろん、兄もです。そのことを「千代子や志津子(妹)は果報ななあ。兄ちゃんはかわいそうに」と表現したのです。男性が同じことをしていても、そうした配偶者を持った娘は果報であり、息子はかわいそうだというのです。母の基準は我が子です。
 こんなことって結構ありますよね。

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2004年3月21日 (日)

3.20平和のためのWorld Action

 昨日はあいにくの雨になってしまいました。それでも、ピースウオークの始まる2時には丁度雨も上がり、約1000人が平和を訴えて行進しました。藍場浜公園から東新町商店街を抜けて両国橋にさしかかった時、小学生の子どもさんたち6人が飛び入りで入ってくれたので、その子たちに先頭の横断幕を渡して歩いてもらいました。水際公園に遊びに行くところだったというのでずいぶん大回りになりましたが、最後まで頑張ってくれました。今日の徳島新聞一面に、大きな写真で報道されています。 
 あの子どもさんたちは、昨夜家に帰って、平和のために一緒に歩いたよとご家族に話をしてくれたでしょうか。今日の新聞に気付いてくれたでしょうか。あんぱんまん達と写した写真ができあがったら送る約束をしたので、その日が楽しみです。

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2004年3月18日 (木)

プラスター立ち

 今朝は、雨の中、佐古交差点で3.20のプラスター立ちでした。ここ最近暖かかったので油断したのと、雨に濡れたのと両方で寒さがこたえました。
 ドライバーの方たちの反応は余りわかりませんが、歩いておられたり、自転車の方は、「何で?」と聞いてくださる方が多かったです。「3月20日は、イラクへの攻撃が始まった日です。藍場浜公園で平和のイベントをしますので来てください」と言うと、「ああ、テレビで言いよった」とか「ああ、早一年で」などなど。
 おもしろかったのは「市長選で?」と言った男性の方。おそらく他にもそう思われた方は多かったと思います。何しろ、このプラスター立ちは可動堰の是非を問う住民投票から始まり、今や徳島の選挙戦では党派を問わず欠かせない行動になりましたから。

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2004年3月15日 (月)

3.14駅前行動

 昨日の「平和のリボン付け街角表明 人のいのちがいちばん!徳島市民行動」は思った以上に、多くの方が協力してくれました。黄色いリボンに平和の思いを書いて結びつけてもらう行動ですが、2時間で78人の方が記入してくれました。
 スタートしたときは、呼びこみも遠慮しがちでしたが、まずMさんが外国から徳島に来られている方をゲットし、Oさんが広島からの方と話し込み、だんだん立ち止まってくれる人が増えてきました。とくに多くの若い人たちが書いてくれたのが印象的でした。Eさんの「今のまま進めば、何年後かにあなたたちが送り出されますよ」の呼び込みが効果をあげたかもしれません。
 今朝は、3.20平和のためのWorld Action徳島実行委員会の皆さんと徳島駅前での行動、明朝からは佐古駅前でのプラスター立ちです。

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2004年3月12日 (金)

人のいのちがいちばん!徳島市民行動

 3月14日(日)14時~16時、そごうエスカレーター前で、人のいのちがいちばん!徳島市民行動平和リボン付け「街角表明」を行います。反核・憲法フォーラム徳島と新社会党徳島県本部の共催です。イラクの人々のいのちも派兵された自衛隊員のいのちも大事の思いをリボンに書いて結びつけてもらおうという取り組みです。
 世論調査では、当初、圧倒的にイラク派兵反対が多かったのに、最近では反対・賛成が拮抗しています。もう行ってしまったのだから無事を祈るべきだという人が増えているようです。しかし、無事を願うなら派兵しないこと、今のうちに撤退することが一番です。そんな声を大きくしていきたいものです。

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2004年3月 8日 (月)

国際女性デー

 今日は8日なので、新社会党「月曜の声」と「八の日行動」が重なりました。また、今日3月8日は国際女性デーなのでマイクの中ではそのことも訴えてきました。
 8日が平日ということで、「国際女性デー徳島集会」は6日の土曜日にもたれ、もちろん参加しました。そして、昨7日には広島集会に呼ばれ、「ジェンダーフリーバッシングをはねかえせ」という講演の機会をいただきました。国際婦人年以降の世界と日本の流れ、男女共同参画社会基本法、徳島でのバッシング、そして有事体制と一体のものとしての攻撃であることなどお話ししてきました。
 「天皇の赤子という点で男も女も同じ」とか、「これだけ戦争協力ができるのだと見せることで平等になろう」という論法で多くの女性運動家が戦争体制にからめとられていった歴史を繰り返してはなりません。 

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2004年3月 6日 (土)

マルチン・ニーメラー

 昨年総選挙の際に、国家公務員である社会保険事務所の係長が「赤旗」号外を配布したことが国家公務員法の「政治的行為の制限」に違反するとして逮捕されました。私の夫は郵便局員ですが、駅前での政党のビラ配りは違法行為だと注意され、郵政当局がカメラを持って現認に現れたことがあります。勤務時間外に、職務を利用するわけでもない機関紙配布が許されないなどとんでもない弾圧です。
 以下は、マルチン・ニーメラーが書いたものの中の一節です。私がこれを年賀状に引用したのは10年ぐらい前だったと思います。
 「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分は少し不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だから、何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安をましたが、社会主義者でなかったから、何も行動に出なかった。それからナチスは、学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびごとにいつも不安をましたが、それでもなお行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だから立ち上がって行動に出たが、その時はすでにおそすぎた」

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