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2004年4月30日 (金)

憲法講演会

 昨日は、反核・憲法フォーラムなど3団体主催の憲法講演会でした。東京大学大学院文化研究科の高橋哲哉教授が「私はなぜ憲法九条を支持するのか」と題して講演。
 靖国神社のもつ意味、愛国心、教育基本法、そして自衛隊の任務は国家を守ることであり国民を守るのではないことなどわかりやすく話してくださいました。多くの資料を示しながら、どう一人ひとりの気持ちを戦争体制にからめとっていったか説明され、一方でそれに抵抗した人の紹介もされました。
 「敷島のやまとますらをにえにして いくらか得たりもろこしの原」昨日初めて聞いた歌で、作者は樋口一葉です。
 170人の参加でしたが、主催者側は資料を100部しか用意しておらず、急遽、演題の横や通路まで椅子を並べ、資料もホテルで増刷りしてもらうなどバタバタしてしまいました。右傾化に危惧を抱き何とかしなければと感じている人たちは多いのに、今まで運動を担ってきた人たちの方があきらめてしまっているのではと痛感した次第です。
  
 

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2004年4月27日 (火)

憲法記念日を前に

1947年5月3日、日本国憲法が施行されました。それから57年、憲法に対して一番の遵守義務を負っている総理大臣が明文改憲を口にしても問題にすらならない時代になってしまいました。以下、憲法記念日を中心にした行動のお知らせです。

1.憲法講演会「わたしはなぜ憲法九条を支持するのか」
   と き:4月29日(木)13時30分~16時
   ところ:ホテル東急イン
   講 師:高橋哲哉さん(東京大学大学院文化研究科教授)
   参加費:1000円
   主 催:反核・憲法フォーラム徳島など3団体
2.5.3憲法擁護徳島集会
   と き:5月3日(月)10時~12時
   ところ:郷土文化会館小ホール
   講 師:前田哲男(東京国際大学教授)
   参加費:無料
   主 催:徳島人権平和運動センター
3.「あなたは憲法何条に一票?」
   と き:5月3日(月)13時~15時
   ところ:駅前そごうエスカレーター下
   内容:通りがかった人に、「憲法何条が好きか?」のシール投票をしてもらいます
   主催:反核・憲法フォーラム徳島

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2004年4月23日 (金)

「村の写真集」

 山城町や祖谷を舞台に撮影された映画「村の写真集」を見てきました。「徳島ホールへ来るのは何年ぶりだろう?」と一緒に行った米ちゃん、私も「ホールどころかずっと映画館そのものに足を運んでないよな」と。
 で、肝心の映画ですが、米ちゃんは「何度もうるうるきた」と言うのですが、私は地元エキストラの顔や知っている風景に気を取られすぎて、感情移入までいきませんでした。役場の課長さん役は30年来の友達で、集合写真の第一号で真ん中に座ったおじいさんは徳島市在住の知人です。大きな画面に映し出されたときは、思わず声が出そうした。
 じんわりと心の機微が描かれたもので、ぜひ多くの方に見て頂きたいと思いました。

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2004年4月19日 (月)

姫野雅義さん残念

 昨日投開票の徳島市長選は、約12000票差で姫野さんの当選を果たすことができませんでした。本当に残念です。市長選直前に飯泉知事が「まずは可動堰以外の方法から検討して欲しい」と国に要望し、可動堰問題を争点からはずした自民陣営の戦術に負けたと言えるでしょうか。投票率が前回より2.30ポイント下回る48.41%しかなかったことを見ても、今まで徳島市の選挙結果を大きく左右してきた「可動堰反対」票を投じてきた人たちが投票に行かなかったと分析できるかと思います。
 先ほど、新社会党県本部事務所まで姫野さんご本人がわざわざご挨拶にみえましたが、疲れも見せず、いつもの笑顔でした。

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2004年4月17日 (土)

不当弾圧粉砕20年記念集会

 1984年4月17日に池田町役場でおきた「でっちあげ事件」から20年が経過するのを機に、「忘れるな4.17~不当弾圧粉砕20年集会」が、昨夜、池田町総合体育館で開催されました。
 町職委員長をはじめ、多くの来賓からも、当時の「たたかう組合つぶし」の攻撃やそれに団結の力(単組だけでなく西部地区労や県内・全国の仲間の支援)で立ち向かい、勝利した経過が熱く述べられました。
 さらに、記念講演として前衆議院議員の川田悦子さんのお話がありました。川田さんとは2月の旭川アクションでお目にかかっていますし、私が司会をしての講演会でお話し頂いたこともあります。著書も殆ど読んでいますから、謂わば知っている話です。でも、昨夜の川田さんの力のこもりようは今までにないものでした。池田町職の闘いの歴史を聞いて、闘う仲間への思い入れがあふれ出していたようです。
 さらに、感心したのは組合員の皆さんです。挨拶が長引き閉会予定の8時には、川田さんの話はまだ35分しか経過していませんでした。一般的に女性が多い集会は、延びればバラバラと帰る人が出てきます。ところが、殆どの人が9時の閉会まで席を立たなかったのです。やっぱり池田町職です。

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2004年4月16日 (金)

解放はされたけど

 昨日はまさにちょこちょこ走りの一日でした。8:30までプラ立ち、事務所でメールの返信などして10時から女性問題リーダー連絡会総会。3時過ぎからは、母の今後の治療方針についてのカンファレンス。夕方は年金改悪・大増税反対県民大集会でのご挨拶。引き続いて市長選合同個人演説会。
 帰宅し、玄関を開けるなり息子が「解放されたよ」との一言。本当によかったです。でも新たに2人の行方不明者も出ているようです。自衛隊の撤兵がなければ真の解決にはなりません。
 また、この間、被害者のご家族への嫌がらせがあったり、昨日新聞で広告を見ましたが、週刊誌が被害者のことをこれでもかとばかりに攻撃しているのを見ると、「非国民」という言葉で反対する人たちを押さえ込んできたのは決して過去のことでないと感じます。

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2004年4月14日 (水)

プラスター立ち

 今朝はあいにくの雨でしたが新浜本町の交差点で「投票に行こう」のプラスター立ちをしました。応援の意味でしっかりと頷いてくれる方、私だとみとめて手を振ってくれる方、目を合わさないようにまっすぐ前を見つめている方と反応はさまざまです。かちどき橋では両陣営が場所取りも含めてプラスターのせめぎ合いをしているようですが、新浜には1時間立ちましたが他には誰も現れませんでした。
 
 昨日の徳島新聞に「イラク邦人人質事件 県内団体2人に聞く」というインタビュー記事が掲載されています。英霊にこたえる会代表の政府対応妥当というコメントと、私の自衛隊は撤退すべきという意見が写真入りで大きく載っています。県内にもたくさんの撤兵を求めて運動をされている団体があるのにおこがましいかと思いつつ精一杯の訴えをしました。でも、「国家テロ」だの「アメリカがまず責任を認めて謝罪すること」などと言ったのは割愛されていました。

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2004年4月12日 (月)

自衛隊は撤退を

 昨日は市長選の告示日。朝の出発式と夜の勝占町での個人演説会に参加しました。徳島県は1年半に3回も知事選を経験しましたが、市長選も7年で2回です。もしも、姫野雅義さんを落とすようなことがあれば、徳島市の民主主義はまたぐっと後戻りしてしまいます。
 昼は徳島駅前でピースオンプラネットが取り組んだ「市民投票」に。自衛隊の撤退をすべきかどうかのシール投票です。11日付けの徳島新聞で、政府の「撤退せず」という方針を支持している人が43%、不支持が45%という調査結果が報道されて余りにも拮抗していることにショックを受けたのですが、昨日の結果は2時間で326人が応じてくれ、うち「撤退すべき」が216人、「すべきでない」が58人、「わからない」が52人でした。少しホッとしましたが、撤退すべきと思っている人が投票に参加してくれる確率が高いことを考慮すれば、やはり世論は2分されているということでしょうか。
 でも、今撤退すべきでないという人に問いたい気持ちです。ますます泥沼化するイラクからいつなら撤退の判断が下せるのでしょうか。

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2004年4月 9日 (金)

人の命は地球より重い

 昨日、徳島市長選に立候補を予定されている姫野雅義さん支援のためマイクを握って市内を一巡し、病院へ寄って母の様子を見て、家へ帰ってやれやれとビールを一口飲んだところに「イラクで日本人3人が人質に」というニュース。
 今日も福田官房長官は、自衛隊撤退に「応じる理由がない」と述べています。かつて、日本赤軍による日航機ハイジャック事件の時に「人の命は地球より重い」と超法規的措置をとり、テロリストを拘置所から出したのは、当時の福田赳夫首相、ほかならぬ官房長官の父親でした。
 こうした事態にならなくても、憲法違反であり、ごまかしのイラク特措法にも反しての派兵ですから撤退すべきでしたが、今こそ撤退の決断をすべきです。今、引き上げなければ、泥沼化したイラク戦争に日本は本格的に参戦をすることになります。

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2004年4月 8日 (木)

シンガポールは撤兵

 今日8日は、恒例の「八の日行動」です。今朝は松茂空港に米軍戦闘機が緊急着陸したこと、小泉総理の靖国参拝に対して福岡地裁で違憲判決が出されたこと、そして、イラクから自衛隊は撤兵すべきだという3点を訴えました。
 今日の夕刊では、サマワの陸上自衛隊宿営地を狙って砲弾が撃ち込まれたそうです。小泉首相は「テロだ」と明言したとか。「撤退させようとの脅しの一環だ」「テロリストはかく乱するのが狙いだ」とも述べたようです。きっと、次は「テロに屈してはならない」と、自衛隊はもっと重装備でと言い出すでしょう。
 侵略戦争の口実にした「大量破壊兵器」は見つからず。イラク民衆の反乱が反占領闘争の様相を見せてきている状況下、「復興支援」だの「人道支援」だのというごまかしはもう通用しません。シンガポールは今月5日、イラクに派遣していた兵士を全て帰国させています。自衛隊も早急に帰国すべきです。

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2004年4月 7日 (水)

ラムサール条約

 昨夜は、徳島自然観察の会主催の「吉野川河口干潟をめぐる学習会」に参加。釧路公立大学の小林聡史教授が「ラムサール条約入門講座」と題して、わかりやすく説明してくれました。
 ラムサール条約とは、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」のことで、1971年、イランのラムサールという町で湿地に関する国際会議が開催され、そこで採択された条約なのでこう呼ばれているとのことです。「開催地がラムサールで良かった。呼びにくい長い名前の町だったら大変」とは講師の弁。
 今、吉野川の河口干潟の中枢部を通過する東環状大橋(仮称)の建設工事がすすめられています。さらに、もう一本高速道路の橋も河口に架けられる計画があります。
 お話を聞いて、吉野川河口干潟の価値を再認識しましたが、さてどう守っていくのか、みんなの叡智が求められます。

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2004年4月 4日 (日)

建設職人総決起集会

 今日は、藍場浜公園で「賃金・単価・仕事確保 生活危機突破 4.4建設職人総決起集会」がありました。冷たい雨にもかかわらず、700人を超す参加者があったそうです。徳島県でも、県内最大の建設会社であった姫野組と岡田組が昨年倒産し民事再生することになりました。小泉構造改革で生活は破壊されています。そんな中での徳島県建設労働組合が主催した総決起集会でした。各支部で自治体要求を取り組み、リフォーム助成制度を広げてきている報告が印象的でした。

 午後は小松島まで火事見舞いに行ってきました。天麩羅をあげたあと、うっかり火を消すのを忘れて散歩に出てしまったとのことでした。皆様もどうぞご用心を!

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2004年4月 1日 (木)

やっと畳の上で

 実母が12月12日に阿南で入院し、同22日に日赤病院に転院して以降3ヶ月余り、かなり容態がよくなってきたので、明日、我が家の近所の病院へ転院することになりました。
 交代ではあっても、4ヶ月近く、床の上に茣蓙を敷き、敷布団と毛布で寝るのは骨にこたえました。しかも、朝まで眠れた日は数えるぐらい。毎晩、「痛い」「かゆい」「起こして」「寝させて」「助けて」コールでした。
 今まで、介護や医療の問題は、数え切れないぐらいマイクで訴えてきましたが、今回の経験で、惚けや老人虐待などなど身にしみて考えさせられました。いい勉強をさせてもらいました。
 明日からはやっと畳の上でぐっすり眠れます。

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