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2004年6月30日 (水)

大空襲を語るつどい

 1945年7月4日、徳島市はB29爆撃機による空襲を受けました。死者約1000人、負傷者約2000人、被災者は7万人にものぼりました。それから59年、空襲体験も風化し、戦争を知らない世代も増えています。
 一方、自衛隊が戦場であるイラクに派兵され、多国籍軍にも参加をするという新たな戦争への道を日本は突き進んでいます。
 こうした時だからこそ、戦争体験に耳を傾け、後世にしっかり伝えていく義務があると考え、反核・憲法フォーラム徳島は「第7回徳島大空襲を語るつどい」を開催します。
 ・と き 7月4日(日)14時~16時
 ・ところ ふれあい健康館視聴覚室
 ・語り部 山中夫佐子さん

 今夜から3日まで、高知の松岡さんの応援に行きますので少し早めのお知らせです。

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2004年6月27日 (日)

「訴え響かず」

 本日の徳島新聞一面「04徳島参院選」は「護憲勢力」という見出しで「訴え響かず焦り募る」と社民党と新社会党が紹介されています。以下関係部分の引用です。
 「新社会党県本部の悩みも深い。3年前には高開書記長が立候補したが、今回の参院選では擁立を断念した。望みを寄せたのは『護憲共同名簿』方式による比例代表での戦い。同党のほか、護憲を標ぼうする社民党やみどりの会議が合同で比例代表に候補を擁立するプランだった。
 しかし、他党の協力が得られず共同名簿方式は流れ、県本部の望みは絶たれた。徳島選挙区のみならず、比例代表選挙でも『新社会』の名が消えた今回の選挙。県本部はみどりの会議から比例代表に立候補した藤田恵氏を推薦する。3年前は候補者だった高開書記長は公示日の24日、藤田候補の選挙カーに乗って“出陣”した。
 憲法の一大危機と位置付けられながらも、流れにあらがうすべもない小政党。『二大政党』のはざまで、県内の護憲派は、いら立ちながら、存亡の危機に立たされた闘いを余儀なくされている。」

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2004年6月24日 (木)

参議院選挙公示

 いよいよ今日は参議院選挙の公示です。真っ赤なスーツで「本気です」をスローガンに闘い抜いて、早くも3年が経過したのだと、時の早さを痛感しています。
 3年前は小泉人気に全ての争点が隠されてしまった選挙でした。今回は関心の低さがマスコミでも報じられていますが、事前の街宣でも藤田恵さん、松岡ゆみ子さんのどちらも「選挙があるんで?」という感じでした。
 でも、いよいよ今日から本番です。しっかりと政策も訴えてとにかく投票所に足を運んでもらわなければ始まりません。今日は4時からの出発式の後、藤田カーに乗って、丹生谷に入り木頭泊まり、明日は海部一円を回ります。

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2004年6月22日 (火)

常識

 時ならぬ台風の襲来でしたが、皆様方には被害はございませんか。かく言う我が家は、カーポートの屋根の波トタンが4枚吹き飛び、ご近所の方が道路に飛んでいるのを集めてくださっていました。
 さて、昨日はJRもバスも全て朝の段階で運休ということで、さすがに「月曜の声」はお休みしました。で、私は、風雨がもっと激しくならないうちにと8時前には事務所に出勤しました。雨が上がって、お昼過ぎから「週刊新社会」を配布に出たのですが、カギがかかっていたり、今出てきたところという労働組合が殆どでした。労働福祉会館でも同じ5階の並びの2部屋はお休みでした。
 郵政省で「万全を尽くして定時までに出勤するように」と言われ続けてきた結果、台風で休むことなど頭をよぎりもしなかった「私の常識」は、かなり世間の常識と違っていたようです。

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2004年6月21日 (月)

2人目の党員首長誕生

 昨日投開票で行われた千葉県長生村の村長選挙で、新社会党の石井俊雄さんが勝利しました。結果は4206票対3332票でした。
 石井さんは村議1期目ですが、合併推進派の前議長のみの立候補で無投票となりそうな村長選に、周囲の要請を受けて急遽立候補したものです。「時間がないなど不安もありましたが、これまで議会報告を毎月発行し、村政に新しい風を吹き込んでいた石井さんに期待が集まったといえます」(野田市議会議員の長南博邦さんからのメール)とのこと。
 NTT勤務の石井さんが村議に立候補すると言ったとき、私は「村議会議員の選挙は地縁血縁で大変ですよね」と言ってしまいました。「ところで議員定数は何人ですか?」と問えば「18人です」と。徳島で18人の定数と言えば池田町や北島町と同じです。「村」ということでの思いこみで失礼なことを言ってしまった思い出があります。
 石井さんの今後のご活躍に期待しています。

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2004年6月18日 (金)

王寿

 昨日から泊まりがけで高知の松岡さんの応援に行っていました。丁度、昨夕、決起集会が開催されたので昼間はその案内アナウンスで市内を回りました。
 決起集会には、川田悦子前衆議院議員もかけつけてくださっていました。集会後、川田さんと交流の機会があり、いろいろな話をしましたが、とりわけ印象に残った言葉をお知らせします。
 長寿を表すのに喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿という言葉がありますが、昨夜はその上を聞きました。「王寿」と言い、111歳のことです。王という字を分解してみてください。一十一になります。私は、100歳まで生きるつもりで50歳の今が人生の折り返しだと思っていたのですが、もう少し目標を引き上げることにしました。

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2004年6月15日 (火)

有事関連7法成立

 昨日、国民保護法など有事関連7法が可決、成立したことに抗議して、今朝は人権・平和運動センターのみなさんと一緒に早朝駅前街宣に参加しました。
 今日の徳島新聞では自衛隊のことを「小さく産んで大きく育てる」と表していますが、有事関連法も昨年3法が作られ、今回それらを補完する7法が加わりました。かつての国家総動員法関連法令は40余にのぼります。「戦争ができる国なんて大げさに言って」と言われる方もいます。でも、確実に着々と戦争体制は作り上げられようとしています。
 「あの時歴史が動いた」と後の世で言われそうな昨年・今年の怖いほどの動きです。
 

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2004年6月13日 (日)

美郷村と丹生谷

 昨日は、「梅の木オーナー」になっている美郷村(夫の出身地)へ梅ちぎりに行ってきました。心配していた雨もあがり、今年は合羽を着ることもなく、楽しく収穫しました。
 しかも欲張って、ライトアップで有名になった「高開の石積み」も「山川のラベンダー畠」も見学してきました。石積みでは、丁度石積み名人にお会いできて記念写真に入っていただきました。ラベンダーは昨年根腐れして植え直したとかで、まだ花は少ししか咲いておらず残念でした。さらに、ヘルスランド美郷でお湯につかってもきました。
 今日は、藤田恵さんの出版記念のつどいの前段に、丹生谷出身の方にお集まりいただきました。私が相生出身、藤田さんが木頭村出身ということでの企画です。
 美郷も丹生谷も「山」で、私にとってはどちらも大好きな大切な場所です。
 おまけのようなご報告ですが、藤田さんの本番の「つどい」にも座りきれないほどの方にご参加いただきました。ありがとうございました。

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2004年6月 8日 (火)

国民保護法案

 今朝の「八の日行動」のビラは、有事関連7法とくに国民保護法案について書きました。5月20日、法案は衆議院を通過しましたが、何故か通過したことだけが報道され、その後、またぱったりと情報は絶えてしまいました。年金問題でバタバタしている裏で、国民統制法とも言えるこの法律がこっそりと成立しそうです。
 こんな法律ができてしまえば、日頃から「戦時中」を想定した日常生活作りが始まります。役所やテレビ局、病院などは「戦時」のための計画を作り、「戦時」に向けての組織を整えなければなりません。「戦時」に向けての訓練もしなければなりません。
 年金制度も多くの議員が知らなかったから未納・未加入になったと説明し、でもその知らない人たちが法律を成立させているのです。有事関連法も膨大な量で殆どの議員は読んですらいないと思われます。でも、そんな人たちによって大変な法律が成立させられそうです。もっと反対の声を大きく大きくしなければとあせります。

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2004年6月 6日 (日)

学童保育

 今日は津田みどり公園で学童保育の「会館まつり」がありました。息子たちがお世話になっていたころは、まだ開設間もない頃で、国や県・市の補助金といってもわずかで運営も大変でした。備品なども指導員さんや保護者が持ち寄り、運営費に充てるためにバザーもしました。私は毎年綿菓子の係でした。
 久しぶりに覗いてみると、子どもが55人にもなっているということで、当然主催者側の保護者の数も多く、また毎年積み重ねてきたことで地域の人たちの参加も多く大変な盛況でした。
 学童保育の思い出を徳島新聞に「私の風景」という欄に書いたことがあり、HPの「寄稿より」にも載せています。子どもはもちろん、親も育ててもらった学童保育です。

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2004年6月 1日 (火)

藤田恵さん事務所開き

 7月11日投票の参議院選挙。新社会党は護憲の共同名簿方式を模索してきましたが、結果的にまとまりませんでした。平和憲法を守ることで一致する人たちが集まって10人の立候補者をつくり、合計票による獲得議席数だけ票の多い人から順に当選者となるということで、死に票も減るし、いい提案だと思い、成功を願っていたのですが残念でした。 
 そんなことで、参議院選比例区、私は藤田恵さん(みどりの会議)の支援をします。平和、環境にかける藤田さんの思いを精一杯応援します。今日は川内町で事務所開きが行われ、県内外から支援者が集まりました。

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