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2004年8月31日 (火)

台風禍

 台風16号の通過で、県内各地にまた大きな被害が生じています。皆様方にも被害はございませんでしたか。お見舞い申し上げます。朝の四国放送テレビに知り合いのお宅の外壁が飛んだ映像が映ったので早速お見舞いに行ってきました。今日は一日、会う人毎にお見舞いを言っておりましたが、フェンスが飛んだ、納屋の屋根が壊れた、庭木が倒れたと、程度の差はあれそれぞれ被害を受けられた方が殆どでした。
 我が家も、昨夜は強風で家全体が揺れ、夫がテレビのニュースを見ながら「うちも避難するか」と言ったほどでした。その最中に「パーン」と大きな音がしたので雨戸に飛んできた何かがぶつかったものと思っていました。ところが、朝になって見てみると、玄関のガラスが割れていました。
 6月の台風でカーポートの屋根が飛び、7月の台風で家の小窓の屋根がめくれ上がり雨漏りが生じ、8月はガラスです。思わぬ出費続きで、もう台風は要りませんというところです。

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2004年8月27日 (金)

タウンミーティングイン徳島

 17時から2時間、郵政民営化をテーマとしたタウンミーティングが事務所から歩いて3分のプリンスホテルでありました。ちゃんと事前申し込みをして、参加許可である葉書をもって、しかも受付では本人であることを確認する免許証などを提示して、参加者カードを首からぶら下げて、金属探知器の中を抜けて、ハンドバッグを開けて見せて、それでやっと会場に入れたというものものしさでした。
 それで、中身は、まず、麻生総務大臣、竹中金融・経済財政政策担当大臣、民営化の議論を進めている大学教授など5人が挨拶兼説明をし、やっと会場にマイクが。一人2分の制限で、まず3人が発言。それに壇上から、複数で答える。再度3人が発言し、回答がなされて、まとめの挨拶がまた5人からされておしまい。「国民の皆さんからご意見を直接うかがうことを目的に」とちらしには書いてあるにも関わらず、麻生、竹中の言いったくれ(阿波弁ですが)を聞きに行ったようなものです。私は、いつもの作戦で真っ赤な服を着てしっかり手を挙げましたが指名されませんでした。

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2004年8月25日 (水)

今どこにいるか

 昨夜は、徳島住民情報シャトルの第2回総会でした。7月31日に開催予定でしたが、が台風の影響で延期されていたものです。
 記念講演として岸積(元徳島新聞論説委員長)さんが「我々はどこに居るか~マスコミと市民」と題して、今の情勢について話されました。
 閉塞感、脱力感に襲われたときは「原点に返れ」と言う。自分にとっての原点は敗戦の時。玉音放送の中身は憶えていないが、その夜、灯火管制が解かれた明るさは忘れられない。平和とは寝巻を着て眠れることだと実感した経験から、二度とだまされてはならないと思ってきた。さて、今・・・とイラク、自己責任、有事法制、憲法改「正」など語ったあと、もと来た道である坂道をゴロンゴロンゴロンところがっている音が聞こえる。憲法改正ゴロン、徴兵制ゴロンと。愚直にヤボでもおかしいことはおかしいと言っていこうとまとめられました。
 奇しくも、昨秋に開催した「いのちとくらし・平和を守る女性集会」の二部のパネルディスカッションのテーマは「私たちはどこにいるのか」としており、岸さんにもそのことをお伝えしてきました。

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2004年8月23日 (月)

忙中閑

 土日にかけて「第8回青年の船 30周年記念大会」が熱海で開催されました。私が青年の船に乗船したのが20歳の時、それから30年が経ちました。20歳~25歳の300人の団員が派遣されましたが、今回、船長、管理官、教官も含めて何と116人の参加がありました。北海道からも、沖縄からも、日本全国からもちろん自費で駆けつけてきた懐かしい顔、顔、顔。30年の時を忘れて話がはずみ、また、新しい出逢いもあり、楽しいひとときでした。
 しかも、翌日はずっと行きたかったMOA美術館にも足を運ぶことができました。丁度、尾形光琳の紅白図屏風の特別展示も行われており、伊能忠敬の日本地図特別展も開催中、庭園の池にはクロード・モネの庭から株分けしたという睡蓮も咲いており、堪能してきました。

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2004年8月20日 (金)

オリンピック

 オリンピックが開催中です。連日の新聞紙上には「金」の文字が躍り、テレビも感動の場面を繰り返し流しています。努力し本番で力を出し切った選手も、また支えたスタッフもすばらしいと思います。
 しかし、平和の象徴であるオリーブが随所に顔を出していても、テロの影におびえ、ミサイルまで配備し、7万人もの厳戒態勢の中での開催であることを忘れてはならないと思います。イラクでは相変わらず戦闘が続いています。
 日本国内では、13日、沖縄国際大学の敷地内に米軍ヘリコプターが墜落、炎上しました。稲嶺沖縄県知事が米軍普天間飛行場の早期返還と飛行訓練中止を求めて上京していますが、夏休み中の小泉総理は会おうとしません。金メダルを手にした選手にはお祝いの電話をしたというのに。テレビにかじりついて「感動した!」と叫んでいるのでしょうか。
 みんながオリンピックでワーワー言っているうちに、美浜原発の事故も台風の爪痕も、米軍ヘリ墜落も忘れさせられそうです。 

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2004年8月16日 (月)

「敗戦の日」に

 お盆こそ休むぞと思いながらも、14日に夫の亡父の墓参りに美郷村へ行ったのみ。結局、毎日事務所に来て雑務に追われていました。
 昨日は、敗戦の日。正確に言えば、敗戦を認めた「玉音放送」が行われた日。東新町と徳島駅前の2ヶ所でビラ配りをし、マイクを握りました。
 今年は、小泉総理や自民党、さらにはアメリカの政策への批判など話しかけてくれる人が多かったのが特徴的でした。また、平和のための朗読会やコンサート、体験を語る会などの開催も増えています。やはり、今の情勢に危機感を抱き、何とかしなければと考える人が多くなっているのだと思います。
 戦前と同じ状況だと言う人がいますが、当時とは戦争反対を叫ぶことができるという点で大きく違っています。でも、言う人が少なくなれば、戦争反対の声をあげることすらできなくなってしまいます。決意も新たにがんばります。

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2004年8月12日 (木)

核廃絶に向けて

 9日夕方、恒例のナガサキ原爆忌の街宣に徳島駅前へ向かう車の中で美浜原発の事故について知りました。奇しくもという思いで、マイクの中では原発の問題点についても触れました。
 その後の情報で、亡くなられた方の中に阿南高専の卒業生がいることが報じられていました。高専に勤務する兄にメールでお悔やみを打ってあったら、重傷者の中にも卒業生がいるとのことでした。ご遺族、ご家族のお気持ちを考えると言葉もありません。
 ただ、今回の事故でも明らかになったのは、犠牲にあったのが下請け労働者であること、点検の必要性が指摘されながらも行われていなかったこと、点検期間中は原発を停止させるのでその期間を短縮するために事前準備と称して停止させずに作業をしていたことなど、安全が一番考えられなければならない所で儲け優先になっていたことです。
 今日の新聞には、ロシアが臨界前核実験を今年初めから何度も行っていたことが書かれています。原発を含む核廃絶の運動を一層強めなければと思います。
 

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2004年8月10日 (火)

一本の鉛筆

 5日反核・平和の火リレー駅前集会で挨拶。6日「一本の鉛筆」夏の会と広島原爆忌駅前街宣。8日八の日行動。9日月曜の声と夕方は長崎原爆忌街宣、と集中して平和行動に取り組んでいます。
 そのうちの一つ、司会を務めた「一本の鉛筆」夏の会の報告をします
 「一本の鉛筆」という歌があります。松山善三作詞、佐藤勝作曲で美空ひばりが歌っていました。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」「一本の鉛筆があれば8月6日の朝と書く」と真っ正面から戦争反対を歌っています。第一回広島平和音楽祭で歌われましたが、そのリハーサルの時、冷房もない体育館で暑さに誰もが疲れていたけれども、美空ひばりが「被爆した人の暑さはこんなもんじゃなかっただろう」と言い、その一言で皆の気持ちが引き締まったそうです。
 夏の会は、この歌をもとに立ちあげられ、毎年8月6日に開催しており今年で11回を数えました。今年は会員の方の空襲体験を聞かせていただきました。様々な形での平和運動がどんどん取り組まれることが戦争への抑止力に必ずなると思います。

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2004年8月 5日 (木)

中野さん家族北海道から

 国鉄分割民営化という国家的首切りに抗して17年間も闘い続けている国労闘争団の一人である中野勇人さんが北海道北見から四国池田の地に常駐オルグとなったのが昨年10月のことでした。彼の前には九州から来られていましたが、身体を壊されるなどの理由で不在となり、そこへ中野さんが派遣(?)されてきました。マラソンが趣味という彼は、先日サロマ湖ウルトラマラソンで100㎞に挑戦し、7回目の完走を果たしたそうです。「先が見えなくても、自分があきらめない限りゴールは必ずある」と国鉄闘争と100㎞マラソンをダブらせて走りきったとのこと。
 その彼の家族(妻と二男)が、一昨日から10日まで四国を訪問しています。昨夜は、徳島での交流会でした。彼が培ってきた徳島の仲間との繋がりを感じていただけたと思います。 

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2004年8月 3日 (火)

8月

 8月と言えば、新聞もテレビも戦争を題材に扱ったものが多く登場します。できれば、通年的にもっとしっかり報道して欲しいのですが。と言いつつも、私たちの行動も8月恒例の取り組みですが、お知らせしますのでどうぞご都合のつく時にはご参加ください。
 5~7日 反核・平和の火リレー 県内各地 実行委員会主催
 6日17:30  ヒロシマの日街宣 徳島駅前 反核・憲法フォーラム徳島主催
 8日13:30  八の日行動  徳島駅前 八の日・平和を守る女たちの会
 9日17:30  ナガサキの日街宣 徳島駅前 反核・憲法フォーラム徳島主催
 15日11:00 反戦街宣 新町旧丸新前 人権平和運動センター主催
 15日13:00 反戦街宣 徳島駅前 反核・憲法フォーラム徳島主催

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2004年8月 2日 (月)

新委員長のもと

 台風10号の余波が今日もまだ残っていますが、皆様方には被害などございませんでしたか。お見舞い申し上げます。
 さて、昨日、新社会党徳島県本部第10回定期大会を開催しました。1996年の結党以来、委員長を担ってきた河村さんに替わり、新しく喜田敏夫藍住町議会副議長が就任されました。
 私は、引き続き県本部書記長としての任務にあたります。戦争を阻止し、働く人たちのいのちと暮らしを守るために力一杯がんばります。

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