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2005年4月25日 (月)

西条・丸亀市議選

 昨日投開票で行われた西条・丸亀市議会議員選挙はお二人とも当選を果たすことができました。
 丸亀市旧丸亀区は定数25人に30人の立候補、倉本清一さん(新社会党公認)は12位1432票で見事8期当選となりました。
また、西条市旧西条区は定数17人に立候補が24人、高田正敏さん(新社会党公認)は前回より257票増やして16位1189票でした。高田さんも7期目です。
 定数が減る中での厳しい選挙戦を勝ち抜かれたお二人に心からお疲れ様と申し上げます。
 一方、徳島県では吉野川市において合併特例法の在任特例で議員数が60人となっている市議会の解散の是非を問う住民投票の結果、解散賛成が93.22%を占め、市議会は即日解散しました。市民の意見が示されたことに対してどうこう言うつもりはありませんが、ただ、この間の動きで私が気になっていたのは、議員数が多いこと=税金の無駄遣いという論調です。
 しかし、どんどん市町村合併が進み、議員数が減らされ、組織や金を持たない候補者は議席を手にすることができなくなり、しかもそうした議員の多くはまじめに活動し意見を述べていた人であったのにということにつながっているようです。多いこと=悪ではなくて、その議員たちが市民の声をどれだけ反映していたかが問われたと思います。

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2005年4月22日 (金)

徳島県男女共同参画リーダー連絡会総会

 徳島県男女共同参画講座の受講生で組織されている通称リーダー連絡会の2005年度総会が昨日開催され、私が会長に選任されました。何しろこの会での役員経験は全くなく、会の経過なども知らない状況でお引き受けしたのですからかなり無謀なことのように思います。しかし、何事も勉強だと思い、役員の皆さんや会員の方々にご協力いただいて進めていくつもりです。
 ただ、男女共同参画をめぐる動きはずいぶん厳しくなっています。今年の検定通過の多くの教科書から「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の言葉が消えました。また、自民党は組織本部に安倍晋三幹事長代理を座長?とする「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を設置したようです。政調としてではなく、組織本部として対応することの意味は、政策・制度関連の提言をするものでなく、党としての地域への働きかけに使う方針ということのようです。
 しなやかに、したたかに、そしてしぶとく対応していくつもりです。

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2005年4月19日 (火)

ミニ統一自治体選挙

 市町村合併が相次ぎ、当然それに伴う新自治体の首長、議員選挙が行われています。17日は、告示や投開票のところが多く、ミニ統一自治体選の趣です。
 合併により議員定数が減り、しかも旧自治体の枠組みでの小選挙区による選挙となると、大きな堅い組織を持たない候補者は当然不利になります。新社会党だけでなく、市民運動から出ている人や女性の議員数はぐっと減ってしまうことと思われます。
 そんな中でも何とか頑張って欲しいと、17日は丸亀市の倉本清一さんの出陣式に、昨日は西条市の高田正敏さんの選挙カーのアナウンスに行ってきました。お二人とも公認での立候補です。
 17日に丸亀市から一度徳島に帰り、池田町での9条の会講演会に参加、18日朝は恒例の月曜の声をしてから西条へ、夜8時まで選挙カーに乗り、11時前に帰宅。大変な走行距離になりました。
 
 

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2005年4月15日 (金)

解放60年式典

 もう10年以上も前になりますが、人権問題のスタディツアーでドイツを訪問しました。シンティ・ロマという少数民族への差別がテーマでした。英語ではジプシー、ドイツ語ならチゴイナーと呼ばれている民族です。ドイツ国民として800年余りも生活し、第一次世界大戦では勲章を貰った人も多いと言っていましたが、ナチスが政権を握るまで彼らは「普通の」ドイツ国民であったのです。それが、ロマはばい菌、害虫だと劣等民族であるとの教育が始まり、仕事を奪われていき、ついには強制収容所に送り込まれてしまったのです。
 ワイマールの郊外に作られたブーヘンワルト強制収容所はドイツ最大のもので、1937年から45年4月11日の解放までに、25万人が収容され、56000人の収容者が殺害されました。日常的な虐待、拷問や飢えによる死者の他、人体実験や処刑も行われたそうです。強制収容所というとユダヤ人と思いがちですが、シンティ・ロマやまたいわゆる思想犯と呼ばれる戦争に反対した学者、ジャーナリスト、宗教家など多くの人が自由を奪われていたことも学びました。
 そのブーヘンワルト収容所跡で10日、解放60年記念式典が行われました。出席したシュレーダー首相は「ナチの大量殺人と戦争犯罪を思い起こすことは、我々の国民的な存立基盤であり道徳的義務だ」と述べています。
 靖国参拝を繰り返すことによって中国との関係を悪化させている小泉総理とは大きな違いです。
 

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2005年4月12日 (火)

大塚闘争和解成立

 何度かこのノートにも書きましたが、2002年7月、大塚製薬はアッセイ研究所の営業権をBMLに譲渡すると発表。従業員112人に「転籍」「退職」の二者択一を強要、結果全員が退職届を提出しました。しかし、その後、大塚製薬で働き続けたい人たちが労働組合を結成し、退職届の撤回と雇用継続を求め闘ってきました。労働委員会、裁判闘争とともに毎朝会社門前での就労闘争を続け、県内はもとより全国に支援要請の訴えに出かけてきました。新社会党の「月曜の声」でも何度もマイクを握りました。
 そうしたまじめな取り組みと支援の広がりの結果、先月15日、東京高裁において和解が成立しました。金銭和解で職場復帰はかないませんでしたが、9日(土)、勝利報告集会の開催となりました。「闘いは人間を美しくする」と言いますが、闘い抜いた3人は、本当に美しく、また一言一言が実に重いものでした。
 土曜日、そして、昨夜の新入党員歓迎会と美味しいお酒が続きました。

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2005年4月 8日 (金)

戦争はあかんでよ!

 昨日は、西条市議選の応援に行ってきました。ここも合併により小選挙区制で定数減の選挙です。土地勘のない所で余りお役に立てませんでしたが、支援の気持ちだけは伝わったと思います。
 今朝は恒例の八の日行動。教科書問題、竹島問題、そして国民投票法について訴えました。とても嬉しかったのは、今朝参加してくれたAさんが、何と高卒新採の18歳で、もちろん労働組合も入ったばかりで、その彼女が先輩に誘われて来てくれたのです。若い人にしっかり平和運動を繋いでいこうとするK労組の皆さんの働きかけにも感心しました。
 その後、ある酒屋さんに挨拶に行ったのですが、まさに口角泡を飛ばす勢いで「戦争はあかんでよ。とにかく腹が減ってつらかった。朝鮮や中国の人をけとばして平気だった。みんなお国のためにと言われた。ほなけどお国のためでなかった。今度お国のためにや言われても信じたらあかん。絶対もう戦争したらあかん。戦争に行かされるのはアメリカやって黒人やプエルトリコじゃ。日本も就職できん若者は自衛隊に入れと言われよる。」とまくしたてられました。こうした声をもっともっと寄せ集めて大きなうねりにしていかなければとの思いを新たにして辞しました。

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2005年4月 4日 (月)

冬に逆戻り

 桜の花が咲き始め、我が家のチューリップもきれいなピンク色で咲きそろい、もう春だと思っていたのに今朝の寒さには驚かされました。「月曜の声」でマイクを握る手がこごえてしまいました。
 とにかく慌ただしく日が過ぎていきます。2日(土)は新社会党県本部の執行委員会に引き続いて県本部党学校。党綱領と教育基本法の学習を中心に行いました。泊まり込みアルコールが入っての交流は激論もかわされ、楽しい夜となりました。高知から東京まで1047kmランニングキャラバンを完走した中野勇人さんをゴールで迎えるために上京していた2人からの報告も受けました。中野さんは元気にゴールしたそうです。
 昨日は建設職人決起集会にお招きいただきご挨拶の機会も頂戴しました。午後は教科書問題の学習会。2月徳島県議会でも教科書採択の請願が可決されましたが、今年は教科書選定の年です。扶桑社の教科書を採用させようとの動きが全国各地でおきています。教科書採択、教育基本法改悪の動きと「戦争をする国」にするためのソフト面での動きが強まっていますが、民主党の西村真悟衆議院議員が超党派の教育基本法改正促進委員会の設立総会で「お国のために死ねる人を」と訴えたことをもっと広げていかなければならないと思います。
 

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