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2005年7月31日 (日)

引っ越してきな!と言える徳島に

 徳島県起業家育成塾のOB・OGたちで組織している楽起意セブン(ラッキーセブン)という会のメンバーに加えていただいて4年になります。
 その楽起意セブンの最大イベントが「出会いの広場」という名刺交換会です。昨夜のその会には、会員以外にも多くの参加があり、起業に成功した方や今後起業を目指している方たちの様々な話を伺うことができました。
 「あわわ」(徳島で知らない人はいないと思われるタウン誌)取締役の平井和哉さんからの特別講演では「徳島を元気にしていきたい」と熱い思いが語られました。お話の中で、彼は愛知県生まれですが、大学卒業後、徳島で就職し、家も建て、今後もずっと徳島で暮らしたいと言われました。私が名刺に「引っ越してきな!と言える徳島に」と刷り込んでいるのは、住んでいる私たちがいいところだからと自信を持って引っ越しておいでと勧めることができる徳島県にしたいという思いからです。平井さんのお話を聞いて、その気持ちをますます強くしました。

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2005年7月26日 (火)

米の意向

 先月、広島で第五福竜丸展を見てきたことをご報告しましたが、その日の読売新聞に「第五福竜丸汚染マグロ 調査中止 米の意向」との見出しで次のような記事が載っていました。
 「ビキニ岩礁での米国の水爆実験(1954年3月)によるマグロ漁船『第五福竜丸』の被ばくに絡み、当時の厚生省がマグロの放射能汚染調査を9か月後に突然打ち切った背景に、米政府の強い意向が働いたことを示す文書が、米国立公文書館に残されていることがわかった。厚生省は実験直後から現場周辺でも広範囲での汚染を把握。しかし、日米会議の約1か月後、『放射能が多く含まれるのは内蔵で、肉部分は安全』として調査を打ち切った」と。
 これを見て、あまりにも酷似していると思うのが昨今のBSE問題です。「20か月以下の牛は安全。しかも危険な部位は除いている」、アメリカからの牛肉の輸入再開に向けて繰り返されているどこかのコメントです。

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2005年7月24日 (日)

ゼロ・ウェイスト(無駄ゼロ)宣言

 今日は上勝町へ男女共同参画リーダー連絡会の第1回研修会で行ってきました。まずJAに寄って「彩」の出荷を見せていただきましたが、笹や朴葉、時期的な蓮の葉や、不思議なことに柿や楓の色づいたのもあり、これを仕事として思いつき、さらには商業ベースに乗せた人に感心させられました。
 2カ所目は、上勝でこれまた有名なゴミステーション。現在上勝では34分別が実施されています。びんを透明・茶色などに分けることは聞いていましたが、蛍光管でも「壊れたもの」と「そのまま」のは別にするとか「ペットボトルのふた」だけが一品目になっているとか、とにかくゴミにしない方法を探っていることに驚かされました。上勝町は2020年までに焼却・埋め立てにかかるゴミをなくす宣言「ゼロ・ウェイスト宣言」をしています。ゼロ・ウェイストとは、資源、エネルギー、お金や時間のムダづかいをなくし、環境をよくしていこうという考え方です。
 研修の最後は、月ヶ谷温泉で昼食を取り、男女共同参画について意見交換となりました。楽しく、内容の濃い研修会でした。

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2005年7月23日 (土)

津波避難訓練

 南海・東南海地震による津波に備えての避難訓練が津田・新浜地区を対象に実施され午前中参加してきました。今日の訓練は徳島、高知、和歌山、三重の4県で行われたそうですが、スマトラ沖地震の記憶も鮮明なことによるのか、津田・新浜地区の参加者は400人の予定に対して800人の参加者があったそうです。
 地震そのものは止めることはできないが、地震による被害を少なくするために日頃からの備えをしておくようにとの話がありました。「地震の時、食べ物がなくて死んだ人はいない。何より命が一番大事であり、何も持たなくても、ただし、履き物だけは履いていなければ裸足ではけがをするが、とにかく逃げること」と言われました。で、最後に水と乾パンが配給されました。 

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2005年7月17日 (日)

第11回県本部大会

 ご無沙汰で申し訳ありません。本日、県本部大会だったので書記長としてその準備に追われていました。とは言え、それだけに没頭できるわけでもなく、昨日の遺伝子組み換え問題情報ネットワーク総会など、それなりの活動もあるわけで、結局自分のことは一番後回しということになり、結果的にあちこちから更新ができていないとお叱りを頂戴するわけです。毎日、欠かさず更新されている方は食事を抜いてでもパソコンに向かうそうですから、本当に頭が下がります。
 さて、県本部大会ですが、無事終了しました。県・市議、労働界代表のご来賓からは、小さくても筋を通す新社会党に大きなご期待の言葉を寄せていただきました。新入党員3人を始めとして、きまじめに活動を続けている県内各地の党員から決意を込めた意見が相次ぎました。
 私も気持ちを新たに新年度の諸活動に全力をあげます。

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2005年7月11日 (月)

人材育成

 民営化に揺れる郵政公社ですが、40万人の職員と言われながらそのうち12万人は非常勤労働者であること、販売目標の設定により自爆と呼ばれる自己買い取りが横行していること、賃金や一時金の査定など、すでに職場は民間企業もしくはそれを上回る実態となっています。
 その郵政公社が郵政省時代に導入した制度に「人事交流」なるものがあります。職員を人材育成するためという理由で本人同意なく他局へ昇任を伴わない配置転換をできるシステムです。当初組合役員や50歳以上の人は変えないとか説明されていましたが、実際は当局が恣意的にこの制度を利用し、嫌がらせのような配置転換や職場で影響力を持っている組合役員を変えることなどが起きていました。
 今月1日に人事異動の発令がありましたが、徳島県内でも支部役員が他支部に変えられたり、50歳以上で何人も異動させられています。とくに集配労働者の場合は局どころか区が変わるだけで一から家を覚えなければならないわけですから、どこが人材の育成につながるのかさっぱりわかない配転もあります。
 そこで、不服のある人は人事院に公平審査を申したてる制度がありますので、それを活用しようかと相談中です。黙っていいなりになっているとどこまで押しこまれるかわからないということです。

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2005年7月 4日 (月)

戦争は私たちだけで十分です

 「第8回徳島大空襲を語るつどい」は70人の参加者を得て、平和への思いをかみしめるものとなりました。
 今年は語り部を公募したところ74歳から90歳までの男女各2人がお話しくださいました。どなたの言葉からも戦争の悲惨さだけでなく、二度と戦争を起こしてはいけないという熱い気持ちがほとばしっていました。
 また、会場からの「空襲の翌朝、市外へ避難していく人たちに焼け残った人たちはどう対応したのか」という質問に対して、「家に有った生卵をあげた」「家に作りだめをしていたわら草履を裸足の人にさしあげた」「裸同然の人に着ていた服を脱いで、あげた」「近所の人たちとおにぎりをしてたくあんと一緒に渡した」「兵隊さんから乾パンをもらった」などの答に驚いた人も多いようでした。また、「戦争はずっと続くと思っていたか」という問いには「戦争が終わるどころか神国日本は勝つとあの空襲のあとでも思っていた」という答にこれまた皆驚きましたが、同時代の方たちは皆同じ思いであったのか頷いておられました。 
 語り部のお一人であった正野ヨシヱさんの「戦争は私たちだけで十分です。戦争体験を風化させてはなりません」との言葉が耳の奥にしっかりと残っています。アンケートも多くの方が書いてくださって、また来年に向けての課題もできました。

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