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2006年7月31日 (月)

暑中お見舞い申しあげます

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 今年は梅雨明けが遅く立秋まで日数が余りないので早く書かないと残暑見舞いになるなあと思っているところに、几帳面な方々からの暑中ハガキが届き始め追い立てられるような気になっています。年賀状と違って枚数も少ないのですからさっさと書けばよいものを、毎年、「朝夕は少ししのぎやすくなりましたが・・・」のころになってしまいます。ところで、暑中ハガキは、以前「かもめーる」という愛称で販売されていましたが、今は、なぜだか郵便局の幟旗は暑中ハガキとなっています。でも、愛称はなくなりましたが、「くじ」は付いており、今年の抽選日は9月3日です。
 写真は、昨日、お邪魔した全港湾労組の「海の家」(今年は川原での実施となりましたが、イベントの名称がそうなので)の模様です。子どもさんたちが大喜びで泳いでいました。新しく結成された分会の仲間からの挨拶もあり、レクレーションと言えども流石に全港湾と感じるものでした。

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2006年7月26日 (水)

「ミサイル」の見出しにまたかと思ったら

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 四国地方は今日梅雨明け発表がありました。「ゆうすげ」の花は照っても降っても、名前のとおり夕方の3:30には咲くそうです。「照れば暑いし、降ればうっとうしい」と文句を言う人間たち(私だけですか?)とはえらい違いです。
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 こちらは八重の「むくげ」です。むくげは、植民地下朝鮮における抵抗運動を象徴する花と言われています。先頃、朝鮮民主主義人民共和国がミサイルを発射し日本中が大騒ぎをしました。それについて、今日の徳島新聞夕刊の「ぞめき」というコラム欄で(饗)さんは「うろたえるでない」と題して「もちろん危ないし、困った国である。しかし、この件で日本はあまりに賢明さと冷静さを欠いていた。そもそも今回の発射自体、たいした話ではない。今、イスラエルやレバノンで起きているように、人が住んでいる地域に撃って被害が出るなら由々しき事態だ。だが、むしろロシアに近い『あさって』の方向に飛んで、日本海にポチャン、ポチャンと落ちているような話は、世界の現実からすれば、さほどの事件ではない」と述べています。
 一方、同紙一面には「ミサイル試験で漁船避難」と、防衛庁のミサイル性能試験が兵庫県沖の日本海で行われたが、県も漁業関係者も通知を受けておらず非常に混乱したことが報じられています。兵庫県が防衛庁などに送った要請文には「突如、航空機が低空飛行で旋回した後、海面に5本の水柱が立ち、この状況に同船は大きな恐怖を覚え、現場から緊急避難するという事態が発生しました」「致命的な結果につながる可能性も否定できず、このような事態が二度と起きないよう強く抗議する」と書かれています。
 ミサイルミサイルと煽っておいて、自国のミサイル実験でこんな事態を招きどう言い訳をするつもりでしょうか。

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2006年7月23日 (日)

百姓とごまの油は・・・

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 税金や年貢を厳しく取り立てることを表す「苛斂誅求」とか「膏血を絞る」などの難しい言葉と比べると、「百姓とごまの油は絞れば絞るほど出る」というのはよく耳にします。今日の写真はそのごまの花です。
 一昨日の夜、新社会党委員長である栗原君子さんの1000箇所集会の一環として徳島市で集会をもちました。そして、昨日朝は折角なのでJR徳島駅前でマイクを握ってもらいました。栗原委員長は「小泉政権の5年間は民衆のくらしを悪くし、アメリカだけにやさしい政治だった」と、住民税が大幅に上がったこと、年金からも税金が引かれるようになったこと、介護保険制度の改悪でサービスが受けられなくなったなどの一方で米軍再編のためにとんでもない金額がアメリカに提供されること等、具体的にわかりやすく訴えられました。
 税金を表すのは他にも重税、悪税、苛税などありますが、いずれもごめんです。みんなの力でこんな言葉と縁が切れる政治を作りましょう。

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2006年7月22日 (土)

バルトの楽園(がくえん)

 徳島県鳴門市でロケが行われ、多くの県民がエキストラとして協力したと前宣伝の大きかった「バルトの楽園」、上映1ヶ月以上経ってようやく、それも割引券の期限切れにせかされて一昨日やっと見てきました。第一次世界大戦でのドイツ兵捕虜を収容した板東俘虜収容所が舞台で、日本で初めてベートーベンの「交響曲第九番 歓喜の歌」が演奏されたエピソードがクライマックスに登場します。「バルト」とはドイツ語で「髭」のことで、「敗者」の人権を守るべきだと考える松江所長の髭と会津藩士として辛酸をなめた父の髭をだぶらせて描いています。
 この映画にも「会津」だからと明治政府の中で差別的に扱われる場面がありますが、私は会津藩はなぜ朝敵となりながらも最後まで徳川幕府のために闘ったのかということが不思議でした。その謎が解けたのは、5年ほど前に二代将軍秀忠の庶子として生まれた保科正之を描いた「名君の碑」(中村彰彦著)を読んだ時です。家光の異母弟である正之の誕生から会津藩主として亡くなるまでの一生を描いた小説ですが、正之が定めた会津家家訓に徳川家への忠誠が一番に書かれており彼亡き後もその精神が受け継がれていたことが書かれていました。さらに、彼の多くの功績がなぜ歴史に残らなかったかと言えば、明治時代に作られた薩長中心の国史の中で意図的に消されてしまったともありました。歴史は勝者によって書かれるとの言葉どおりです。

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2006年7月19日 (水)

スクミリンゴガイ

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 中央のピンク色の粒々状の物、なんだかわかりますか?最近、徳島市内でもあちこちの用水路のコンクリート壁や田んぼの畦、稲に付いているのも見かけます。一般的にはジャンボタニシと呼ばれているスクミリンゴガイの卵塊です。生み付けられたすぐの卵塊はどぎついほどのピンク色で、孵化が近くなると白くなってきます。草などにポツポツと付いているとピンク色の花でも咲いているのかと思いますが、水路の壁などに固まって生み付けられているとかなり気持ちの悪いものです。
 当初、食用として輸入され、そのうち国内で養殖事業が始まったものの長続きせず廃業。それに伴い廃棄された物がどんどん広がっているそうです。形はタニシのような巻き貝ですが、日本のタニシは親が子を産む胎生、このスクミリンゴガイはご覧のように卵生です。で、この貝が植え付け直後の稲を食べるので農水省は有害動物に指定していますが、その旺盛な食欲を逆手にとって水田の除草をさせている農家もあるようです。
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2006年7月16日 (日)

新社会党徳島県本部第12回定期大会

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 県本部定期大会を開催しました。今春の合併に伴う市町議会議員選挙において新社会党徳島県本部は4人全員の当選を勝ち取りました。この勢いで、来春県議選にも必ず勝利することをみんなで誓い合いました。ご来賓のご挨拶やメッセージでも新社会党ならびに高開千代子への多くの期待の言葉をいただきました。
 1日は忙しいなりに普通に過ぎていくのに、1週間の過ぎるのは早すぎて、こんな調子では、昨日、「暑い・暑い・暑い」と書きましたが、暑い期間はあっという間に過ぎて、すぐにも寒くなりそうです。一日一日を大事にして全力を振り絞ってがんばります。
 

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2006年7月15日 (土)

暑い・暑い・暑い

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 梅雨明けを思わせる暑さが続いています。今朝は9時にすでに国道55号線の温度表示坂が30度となっていました。今日は、久しぶりに靴屋さんに行きました。デザインより歩きやすさという私の希望は言わなくても、いつもさっと出してくれるのがピッタリ合います。今日も買物は2分で決まり、あとはいろいろなお話を伺いながらクーラーの効いたお店で汗をひかせていただきました。
 どこへ行っても「暑いですね」が合い言葉のような一日でしたが、でも、その暑さを歓迎するかのようにヒマワリがすっくと立っていました。

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2006年7月13日 (木)

コンビニがオープン

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 事務所から歩いて200歩の所に、今日コンビニがオープンしました。その向かい側には昨年11月にスーパーマーケットが開店しています。引っ越してきた時に比べるとずいぶん「マチ」になりました。
 そのコンビニでの私の初買物は毎日新聞です。先日の「大空襲を語るつどい」で語りべをしてくださった山中夫佐子さんの絵が載っていると聞いたものですから。大きなスペースを取ってカラーで3枚の絵が掲載されており、早速山中さんにお電話をかけました。毎週木曜日にしばらく連載記事として紹介されるとのことで楽しみです。

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2006年7月 9日 (日)

白バラの祈り 

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 29年前に私たち夫婦の仲人を務めてくださった杉村仁氏さんの旭日双光章受章祝賀会が鴨島でありました。美郷村会議員の9期めに合併により吉野川市議となり、昨年4月の同議会解散まで35年間議員として活動されたことでの受章です。出席する夫を送っていき、お祝いだけ申しあげてきました。祝賀会には200人もの方がご出席されていたそうです。これからも健康に気をつけてご活躍いただきたいと思います。

 その後、「白バラの祈り-ゾフィー・ショル、最期の日々」を見にいきました。「ヒトラー~最期の12日間~」のラストでヒトラーの秘書が、ヒトラー打倒のために闘い処刑された同年の女性ゾフィーという女性がいたことを知り自分が当時何も知らなかったというのは言い訳にならないと言う場面がありました。
 そのゾフィーを描いたのがこの映画です。息もつかせぬ審問官モーアとのやりとり、5日後には人民法廷で死刑宣告、そして即日処刑という、わかっている結末に向けて物語はテンポ良く進み、手に汗握る2時間でした。今の時代を思えば、あまりにも重いテーマでとても感想を書くことができません。
 

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2006年7月 8日 (土)

え?焼夷弾を踏み台に使っている

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「大空襲を語るつどい」のご縁で徳島大空襲時の焼夷弾の部品が現存しているとの情報をいただきました。まず、山中さんのお宅では焼夷弾のお尻部分(落下している時に上部になっている)の羽根を見せていただきました。何と洗濯物の竿の下に置かれて踏み台になっているとのこと。
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かつては野良作業の時に腰掛けとしても使われていたとか。で、案内してくれた先日の語りべである浜松さんが座ってみせてくれました。
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次にお伺いした福山さん宅には、焼夷弾を束ねて留めていた部分が保管されていました。
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説明書きの裏に山中さんの所にあった腰掛け様の部品の説明も書かれていました。
最後に行ったお宅では集めておられた方が28年前に亡くなられ、そういう物があったことすら知らないとのことでこちらは残念でした。
来年の第10回のつどいは、盛りだくさんの企画になりそうです。


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ラットに影響、人間には・・・

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 昨日、遺伝子組み換え問題情報ネットワークなどの主催する「イリーナ・エルマコヴァ博士全国講演会IN徳島」が開催されました。イリーナ博士(ロシア科学アカデミー)の実験は、ラットを3つのグループに分け、それぞれにGM(遺伝子組み換え)大豆、通常の飼料(対照群)、通常の大豆を与え、生まれてきた子どもへの影響を調べたものです。交尾する前から飼料を与えつづけた結果、GM大豆を与えたラットから生まれてきた子どもは、1週間後では31.1%と高い死亡率(通常の飼料では4.5%、通常の大豆では9%)で、3週間後では55.6%とさらに高い死亡率を示し、生存した子どもの2週間後の体重を計ると、GM大豆を食べさせた子どもには10-20gの低体重児が36%(通常の飼料では6%、通常の大豆では6.7%)いたとのこと。平均体重も、GM大豆を食べさせた子どもは23.95g(通常の飼料では30.03g、通常の大豆では27.1g)と軽く、GM大豆がラットにはネガティブな影響を与えていると報告しました。
 重量比5%未満は表示義務なし、使用量の多い上位3品目までの表示義務なので5%以上でも4番目なら書かなくて良いとする日本の表示方法では、知らないうちにどれだけ摂取しているかわかりません。形態学的にも生化学的にも人間に似ていると言われるラットへの影響を聞き、人への影響を考えるとぞっとしました。

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2006年7月 4日 (火)

大空襲を語るつどいにB29も登場 

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 「第9回徳島大空襲を語るつどい」は、一昨日の毎日新聞、昨日の徳島新聞がそれぞれ語りべに事前取材して大きく掲載してくれた上に、今朝の四国放送「おはよう徳島」で山中夫佐子さんが取り上げられ、また継続してずっと来てくださる方もいて平日の夕方にもかかわらず70人の方にご参加いただきました。
 福島計一さんは80歳、徳島空襲を記録する会が1975年にまとめた記録集に手記を寄せておられます。徳島大空襲のことをよく調べてもおられていろいろ説明してくださり、また屍臭のこと、爆音など迫力あるお話しをいただきました。
 西内重太郎さんは71歳、戦争に負けたと知ったとき、自殺しようと思ったが道具もなく、まわりの大人が平気な顔をしているのでそのままになったそうです。人生観が180度変わったとのこと。
 山中さんは、空襲当時の絵を描き残したいと70歳になってから水彩画を習い始めた方です。2年前に話していただいてから後も書き続け、今日は、それをスライドに大きく映して皆さんに見ていただきました。
 浜松利昭さんは大工さんで、B29の75分の1の模型と焼夷弾の実物大模型を造ってきてくださいました。さらに子どもの時に拾った焼夷弾の部品を今も保存されていて、それも回覧してくれました。
 皆さんの具体的な体験、当時の気持ちなど伺うにつけ、何としても平和を守り抜かなければとの思いを新たにします。

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2006年7月 2日 (日)

ジャン・ユンカーマン監督が来県

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 「九条の会徳島」の主催による「映画と講演のつどい」が県教育会館でありました。第一部では「映画・日本国憲法」の上映、第二部では、その映画の監督ジャン・ユンカーマンさんが講演をされました。映画は前にも見ていたのでウンウンという感じでしたが、講演にはぐっと引き込まれてしまいました。
 どなたかの「戦争は終わったとたんに忘却が始まる」という言葉を引用されて、忘却に対して闘わなければ同じことをやり続ける。一番大事な謝罪は二度と繰り返さないことであり、九条の放棄とは謝罪の放棄である。九条を守っても自衛隊がすぐなくなったり、米軍基地がなくなるわけではない、でもこの運動をずっと続けていくことが日本の民主主義の復活につなかがるのでないかと述べられました。
 質疑の中で、私は、アメリカの国会に男女ともの徴兵制法案が民主党から提案されたことに関して、ベトナム戦争で徴兵制が廃止されたのにその復活が言われる背景やアメリカにおける世論はどうかと質問しました。監督は徴兵制には多分ならないだろうということと合わせて日本でも若者に国に対して誇りを持たせるために軍隊にとかの論調があるが、国に誇りに持てるためには外交や国際貢献が大事だと答えてくれました。

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