« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月29日 (木)

「いよいよ」です

Dscf3598
 今朝は6:30の津田朝市から活動スタート。今年に入ってから毎週、地元津田の朝市と、繊維団地での日曜市に顔を出しているので顔なじみの方がたくさんできました。「いよいよ明日からじゃな」「いつも頑張っとん、知っとるけんな」等々多くの方から声をかけていただきました。本当にありがたいことです。
 それから場所を移して、末広大橋のたもとで手ふりの挨拶。ここは昨年の3月からの定位置です。にっこり応えてくれる方がぐっと増えてきたのを実感します。大野橋、津田橋、徳島駅前と毎朝挨拶をしてきましたが、いよいよ明日から本番です。全力で頑張ります。
 なお、公示日以降、ホームページの更新は禁止されていますので、「ちょこちょこ日誌」もしばらくお休みさせていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月22日 (木)

山の動く日来る

Dscf3590
 19日の徳島新聞に掲載(写真は後ろから)されたにも関わらず、「ちょこちょこ日誌」が「とびとび日誌」になっています。お叱りやら励ましやらいただいていますことにお礼を申し上げます。
 さて、18日に城東高校応援する会の皆さんが集まり、最後の追い込みについて相談してくれました。そのおりに立派な「檄」を送っていただきました。1989年の第15回参議院議員選挙において社会党が改選議席の倍以上を獲得し、マドンナ旋風とも呼ばれるブームもまきおこした時、「山が動いた」が名文句として有名になりました。
 原典は、与謝野晶子が1911年、「青鞜」発刊に寄せて書いたものです。力あふれる書にますます気が高まってきました。

「山の動く日来(きた)る。/かく云へども人われを信ぜじ。/山は姑(しばら)く眠りしのみ。/その昔に於て/山は皆火に燃えて動きしものを。/されど、そは信ぜずともよし。/人よ、ああ、唯これを信ぜよ。/すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称にてのみ物書かばや。/われは女ぞ。/一人称にてのみ物書かばや。/われは。われは。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月10日 (土)

蜂須賀桜

  Dscf3588
 原田家の前を通りがかったので立ち寄ってみましたが、蜂須賀桜は昨日の徳島新聞報道どおりにすでに葉桜となっていました。他のお宅でも百花繚乱とも言えるお庭が多く、驚く毎日です。地球を痛めつけてきたしっぺ返しが起きはじめている気がしてなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 8日 (木)

国際女性デー

Dscf3567_1
 3月8日は国際女性デー、「阿波女を議会に!バックアップスクール」の皆さんとアピール行動を行いました。国際女性デーは、1910年に「政治的、社会的な男女不平等のすべてをなくし、世界の平和と戦争反対のための“闘争の日”」として提案され、各国で取り組まれてきています。100年近く経つわけですが、政治的、社会的平等も平和も達成できておらず、マイクを握りながらもっともっと運動を強化しなければとの思いを強くしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 7日 (水)

もう桜が咲いていました

Dscf3563
 昨日から急に冷え込んでいましたが、今日は満開の桜に出会いました。冬の寒さを経ないと咲かないので開花が遅いかもというニュースもありましたが、どうもそうとは言えなかったようです。訪問先のお庭であまりにも美しかったので一枚写させていただきました。
 今日は、もう7日、投票日まであと1ヶ月に迫り少し焦り気味でしたが、ホッとさせていただいたひとときでした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 2日 (金)

クリーブランドから

 松島正さんを救う会の募金箱を置かせていただいている喫茶店にお昼を食べに寄ると、同ビル内で働いている方が募金活動に参加されていると話していたと教えてくれたので、早速ご挨拶に伺いました。彼女の方も誰が頼んでくれたのかと思っていたと喜んでくれました。
 さて、肝臓移植手術のために渡米している松島さんは、検査が終了しドナー登録されるところまできました。彼に付き添っている弟の克樹さんから、25日のちょこちょこ日誌についての感想がメールで届きました。了解をいただいたのでご紹介します。

 日記はいつも目は通させてもらっています。 確かに日本は障害者等の弱者にはすごく偏見っていうか、別の次元の事と考えっている人が多いと思います、自分も日本にいる時は 父もそうだったので偏見はないけど、かと言って困っている人がいても手を出すでなくただ見てるだけでしたが、こちらは絶対に障害者や、弱者にはなんらかの手助けをしようとしてくれます。
 病院内等はまだ兄は車椅子を使用していますが、エレベーターでは からなず例え自分が先に乗ろうとしていても車椅子がくると待って 先に乗らしたりドアを開けて待ったりしています、後お年寄りにも 手助けも忘れないです。 
 先日もそのことで兄と通訳の麻由美さんとで話しましたが、米国、中国、韓国は核家族でも、お年寄り、弱者を敬い一人の人間として扱っているが、日本はどうしてだろうということになりました。そのあたりからも少しでもなおせたらいいのにと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »