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2007年7月29日 (日)

いよいよ投票日

 ずっと選挙カーに乗って「9条ネット」「藤田恵」の訴えをしてきましたが、今日はいよいよ投票日です。朝、投票に行ったら、まさに出た所で一緒に行った夫が出口調査を受けました。今夜の報道に反映すると思うと何だか嬉しくなりました。
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 かなり古いネタですが、徳島市で朝夕は一番の(たぶん)通行量を誇るかちどき橋の上での19日朝のプラカード作戦。
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同じくかちどき橋での27日の朝の行動。本田耕一前県議が脚長おじさんで登場。見えにくいのですが、左の男性との身長の差を見てください。
Dscf4213藤田さんは「戦争ほうき」を握ってアピール。
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 28日、徳島駅前でのマイク。バスを待っていた人からたくさんの拍手をいただきました。辻立ちでも家から出て来てくれる人、最後まで聞いてくれる人が急増。
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 マイクおさめでの力の入った挨拶。

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2007年7月22日 (日)

藤田恵さん同行記

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 19日は、翌日にウミガメ祭りを控えた美波町日和佐郵便局前でのマイクで行動開始。藤田恵さんが在住している美波町はもちろん、お隣の牟岐町、海陽町でも地元の人が待ち受けてくれ先導や運転、選挙カー周辺でのチラシまきなど助けていただき有り難かったです。
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 海陽町宍喰浦で波の化石や絶滅危惧種である自生のキバナノセッコクを選挙カーをちょっと止めて見せてもらったのは役得でした。
 もちろん、本来の仕事は忘れておりません。阿南市では佐々木志満子市議会議員に同乗してもらい、スポット演説もしっかりやりました。

 20日は、前日以上の強行スケジュール。朝、藤田さんの自宅を出発し、スポット演説をこなしながら旧木頭村の高知県境まで足を延ばしました。何と言っても6年前まで村長を務めていた所、多くの方の歓迎を受け藤田さんの声にもどんどん力が入ってきました。
 那賀町のあと、欲張って勝浦、上勝にも入りました。鮎釣りも趣味の藤田さん、最初は勝浦川で釣りをしている人が気になって仕方がない様子でしたが、あまりにも対向車や沿道の反応が良いので、走行中もさかんに自分でマイクを握って力を込めて訴えていました。
 徳島市内での夕方の集まりに顔を出した後、何と松山泊ということで、20:30に徳島を出発しました。その元気さと平和にかける思いには頭がさがります。

 

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2007年7月13日 (金)

藤田恵さん元気に出発

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 参議院議員選挙がいよいよ始まりました。比例区の立候補届出は中央選管となり、いわゆる選挙の七つ道具をそこで受け取り徳島に到着するのを待ってでなければマイクでの訴えも何もできません。ということで藤田恵さんの出発式は夕方17:30からとなりました。100人を超す方に集まっていただき、また多くの方からの激励も頂戴し、ますますパワーアップした藤田恵さんが「9条」はもちろん「憲法」への熱い思いを込めて第一声。「国民の命、財産、自由を奪ってしまうのが憲法改悪。絶対に許してはならない」と力を込めて訴えました。
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 今朝は7:30の徳島駅前でのビラ配りからスタート、8:00にはマイクのスイッチオン。徳島市内を一巡し、雨にもかかわらず要所要所でスポット演説も行い、沿道から車からたくさんの応援をいただきました。なにしろ比例区候補なので徳島だけを回るわけにはいきません。今夜、藤田さんを乗せた選挙カーは高松市へと向かいました。とりあえず駆け足で四国一周をするわけですが、折しも台風が四国を直撃しそうです。大変な行程になりそうで心配しながら見送りました。

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2007年7月 4日 (水)

徳島大空襲の日

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 1945年7月4日未明、徳島市はB29による大空襲を受けました。焼夷弾1050トンの投下により、死者約1000人、負傷者約2000人、被災者は7万人にものぼりました。その7月4日の今日、午後は山中夫佐子さんの運転手で不動中学校に行ってきました。暑いのにみんなしっかり聞いてくれました。

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 夕方は、第10回徳島大空襲を語るつどい。語りべは公募に応じてくださった70~92歳の6人の方にお願いしました。女学校の同級生が焼夷弾を背中に受けて亡くなったつらい話、新町川を材木が燃えながら流れており水が温かくなっていたこと、こんなところに山なんかなかったのにと思ったら死体を積み上げてありその山を崩しながら母をさがしていた娘さんのこと、どなたの話も昨日のことのように具体的でその時の煙や臭いまで感じるほどでした。子どもや孫への遺言のつもりで話したのでビデオができあがったら送ってくださいという方もおられました。参加者は70人、アンケートにも平和への思いがたくさん書き込まれていました。
 毎年開催し、その度マスコミが報道してくれると様々な情報が寄せられ、焼夷弾の残骸、警防団長の記録など皆さんにイメージしてもらいやすいグッズ(?)も少しずつ増えてきました。戦後世代の私ですが、空襲体験を次代に伝えるつなぎの役割を果たさなければとの思いを強くしました。

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2007年7月 2日 (月)

アイラトビカズラが実をつけた

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 名西郡石井町の遠藤憲佑さんから「トビカズラが実をつけた」と電話をいただいたので、見せてもらいに行ってきました。遠藤さんはNPO法人徳島雲南友好植物園理事長をされており、中国雲南省政府から徳島県民との友好を記念して贈られたトウツバキを中心に鑑賞価値の高い種々の植物を育成公開されている方です。
 5年ほど前にお伺いした時に丁度アイラトビカズラが数個咲いていました。「トビカズラは国内では2ヶ所しか自生しとらんで、これは南あわじ市の植物園からもろたんを挿し木で育てたんよ。あと1ヶ月もしたら何百個も鈴なりに咲くので見に来なよ。」と言っていただいたのを今も覚えています。
 その珍しいトビカズラが何と実をつけたというのです。
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 トビカズラは遠藤さん方の庭の鉢から伸びており(ちょっとと思って置いたら土まで根を下ろしており動かせなくなったとのこと)、マメ科というのは素人の私にでもわかる「さや」をつけていました。長さは70~80センチで、ひとつのさやに10個前後のタネが入っているようです。この大きなさやが200本もぶらさがっていました。ホルモン処理や人工授粉などをせずに自然に結実したのは日本で初めてのことです。
 興味のある方は、直接遠藤さん(090-3786-2053)にご連絡ください。

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2007年7月 1日 (日)

原爆投下容認は許せない

 昨日、久間防衛大臣が千葉県内の大学における講演の中で、アメリカの広島・長崎への原子爆弾投下について「しょうがないなと思っている」と述べたことが報道されています。反核・憲法フォーラム徳島は久間大臣あてに以下の抗議文をFAX送信しました。
 「(前略)あらためて述べるまでもなく、1945年8月広島市・長崎市は原子爆弾の投下により、一瞬にして廃墟と化し、数十万の尊い生命が奪われました。さらに、戦後62年を経過しながら今なお多くの被爆者が放射線による後遺症などに苦しんでいます。このような原子爆弾による悲劇が二度と繰り返されることのないよう、世界にその非人道性を訴え、核兵器の廃絶を求めることこそが日本政府の重大な役割であるはずです。
 にもかかわらず、現職閣僚がどういう意図や文脈の中であれ核兵器を容認する発言をしたということは許されるはずもありません。
 私たちは、昨日の原爆投下容認発言に対して強い憤りをもって抗議し、貴職が発言を撤回した上で直ちに防衛大臣の職を辞任することを求めます。」
 また、同趣旨で久間大臣の罷免を求めるものを安倍総理にも送信しました。

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