徳島大空襲の日
1945年7月4日未明、徳島市はB29による大空襲を受けました。焼夷弾1050トンの投下により、死者約1000人、負傷者約2000人、被災者は7万人にものぼりました。その7月4日の今日、午後は山中夫佐子さんの運転手で不動中学校に行ってきました。暑いのにみんなしっかり聞いてくれました。
夕方は、第10回徳島大空襲を語るつどい。語りべは公募に応じてくださった70~92歳の6人の方にお願いしました。女学校の同級生が焼夷弾を背中に受けて亡くなったつらい話、新町川を材木が燃えながら流れており水が温かくなっていたこと、こんなところに山なんかなかったのにと思ったら死体を積み上げてありその山を崩しながら母をさがしていた娘さんのこと、どなたの話も昨日のことのように具体的でその時の煙や臭いまで感じるほどでした。子どもや孫への遺言のつもりで話したのでビデオができあがったら送ってくださいという方もおられました。参加者は70人、アンケートにも平和への思いがたくさん書き込まれていました。
毎年開催し、その度マスコミが報道してくれると様々な情報が寄せられ、焼夷弾の残骸、警防団長の記録など皆さんにイメージしてもらいやすいグッズ(?)も少しずつ増えてきました。戦後世代の私ですが、空襲体験を次代に伝えるつなぎの役割を果たさなければとの思いを強くしました。
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