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2007年8月27日 (月)

東京も暑かった

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 第12回全国まなぶ全国交流会が東京で開催され、四国の仲間とバスで往復しました。とにかくこの間、今春の県議選に全力傾注で県外への集会参加は控えてきたので、「労働大学まなぶ友の会」の皆さんにお会いするのは、2年前に徳島で開催された全国交流会以来です。集会冒頭、この1年に物故された会員への黙祷がありましたが、何と30代から60歳までの7人もの方のお名前が読み上げられました。徳島県協でも今年7月に37歳の仲間が急逝しており、彼の顔が浮かんで本当につらい開会でした。
 でも、集会全体は職場や生活にかけられている具体的な攻撃をつき合わせ、人間らしく生きる砦としてまなぶ友の会運動を進めていくことを確認する元気なものでした。
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 集会は新宿のワシントンホテルで開催、新宿方面に行くのは何年ぶりかで何と都庁を見るのは初めてです。おのぼりさんよろしく写真を撮ってきました。
 それにしても片道、10時間のバスの行程は疲れました。

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2007年8月19日 (日)

第13回新社会党徳島県本部大会

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 参議院選挙で例年より遅れての開催となりましたが、新社会党県本部大会を開催しました。県議選での高開落選、参議院選での9条ネットの敗北後の大会で、県本部組織の立て直しをどう図っていくか予定時刻をオーバーする議論となりました。
 委員長は3年間献身的に務めていただいた喜田敏夫さんから北野静雄さんに交代し、私は不十分ながら引き続き書記長を担うこととなりました。

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2007年8月16日 (木)

戦争ほうきやじろべえ

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 62回目の8月15日を迎えた昨日、徳島駅前に久しぶりにやじろべえが登場しました。今年は「憲法9条が」‐「変わっても戦争にならない」「変わったら戦争につながる」のバケツにビー玉を投じてもらいました。午後1時からの1時間で協力してくれたのは143人、「ならない」が37人、「つながる」は106人という結果でした。中学生や高校生も友達同士で「安倍総理の言ってるのはおかしよな」とか「変えたらいかんわ、戦争になる」など言いながら参加してくれました。
 今年のテーマを考えていた時、若い人に「まず9条=戦争放棄と思っている人が少なく、さらに、それが変えられたら戦争につながると思っている人はわずかですよ」と言われました。直接的に9条を「変える」「変えない」を問うより考えてもらいやすいかと思っての企画でした。もし「ならない」という人が多ければこれからアピールの仕方も考えなければいけないかと思っていたのですが、「つながる」という人が多く、「そうよ、やっぱりみんな解っているんだ」と意を強くしたところです。
 ちなみにやじろべえの頭、シュロぼうきですがわかりますか?

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2007年8月12日 (日)

川の全国シンポ

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 昨日、今日と徳島大学蔵本キャンパスで「川の全国シンポ」が開催され、全国から約700人が参加しました。盛りだくさんの内容でしたが、「河川法改正から10年-それぞれの挑戦」と題してのシンポジウムでは行政、住民、研究者、国交省などの立場でそれそれが何を変えようと挑戦したのか、さらに今なお変わらなくて残っている課題は何かのトークが繰り広げられました。ちなみに、変えようとしたのは「自分の心」「河川行政に対する不信感の払拭」「住民意識」などでした。
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 今日は、特別講演「地方分権-流域住民(あなた)が川をとりもどす時代」の後、「政治はどうやって川の問題を解決するのか」のテーマでシンポジウムが行われました。滋賀県知事の嘉田由紀子さんや中村敦夫さんも参加。事前に各政党にアンケートも取り、川問題を解決する道筋を探る議論が会場からの意見も交えて行われ、嘉田さんは「政治とは未来を作ること」とまとめられました。

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2007年8月 9日 (木)

ナガサキの日

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 長崎への原爆投下から62年の今日、「一本の鉛筆」夏の会がありました。今年は、事務局の竹井敏行さんが「天皇までだました軍部-後藤田正晴の戦争観 平和論」と題して話されました。明治維新以降の主な年表と膨大な書籍からの引用によるレジメをもとにテーマに迫ったお話でした。
 
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 夕方は、反核・憲法フォーラム徳島のナガサキの日街宣。マイクを握っているのは長尾伸夫全港湾四国地本委員長ですが、街はもうすっかり阿波踊りの装いです。
 終了後、同フォーラムの総会を持ち、次年度の活動について活発な意見交換をし、役員改選では引き続き私も代表委員を担うこととなりました。決意も新たに頑張ります。

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2007年8月 8日 (水)

反核・平和の火リレー

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 朝は恒例の「八の日行動」。今日は立秋だそうですが、容赦なくじりじり照りつけられマイクを握っていても背中を汗が流れ落ちていくのがわかるほどでした。
 そんな暑い一日、しかも火を掲げて走られた反核・平和の火リレーに参加の皆さんはどんなにか暑かったかと頭の下がる思いです。20回を数える今年は、初日の昨日が北島町から三好市へ59㎞、今日は三好市から徳島市へ71㎞、明日の最終日は阿南市から鳴門市へ45㎞を延べ600人が火を引き継ぎます。私も全逓女性部の役員をしていた頃、走者の確保や当日の裏方で走り回った経験もあり、1回だけですが走ったこともあります。大変さがわかるだけに20回の重みをかみしめながら徳島市での総括集会で連帯のご挨拶をさせていただきました。

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2007年8月 6日 (月)

ヒロシマの日

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 恒例の反核・憲法フォーラム徳島の「ヒロシマの日」街宣は朝7:30から行いました。私は、久間章生前防衛大臣の「しょうがない発言」や今の内閣のこうした発言を生む土壌を批判し、市民の力で戦争のできる国への動きをくい止めようと訴えました。

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 その後、すぐに山中夫佐子さんの運転手として阿波市吉野町へ。阿波市婦人団体連合会吉野支部が主催する「戦争体験を語りつぐ会」は、吉野中学校2年生の皆さんを対象に毎年開催されているそうです。
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 お話のあとは婦人会の皆さんが朝から用意をしてくれた麦飯とすいとんをいただきました。みんなの口にあうように美味しく作ってくれていましたが、当時は「もっと味も薄く、野菜も少ししか入っていなかった。麦飯も麦ばかりで箸ではさもうとするとボロボロこぼれた」そうです。
 流石に、お昼にこれだけだったので夕方にはお腹が空いて困りました。戦時中のひもじい思いはこんなものではなかっただろうと推測しながら我慢をしました。

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2007年8月 4日 (土)

金委員長を励ます集い

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 1987年から20年間朝鮮総連徳島県本部委員長を務められた金太奎さんが勇退されて松山に帰られるということで、日朝友好徳島県民フォーラムのお呼びかけで「金委員長を励ます集い」が持たれました。県内各層の多くの方が出席され、まさにこの20年の金委員長の活動が凝縮された思いのする励ます会となりました。
 これからも健康に留意されてますますご活躍くださることをお願いしてお別れしました。

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2007年8月 1日 (水)

9条ネット 議席に届かず

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 古くからの友人が6年前の参議院選当時の新聞を送ってくれました。あの年も公示が7月12日、投開票日が29日でした。小泉旋風が吹き荒れ、「高開さんの応援はするけれど小泉さんの悪口は言わんといて」と何人もの方に言われたのを思い出します。
 今年は年金が大きな風となり、「憲法守れ」の声は吹き飛ばされてしまいました。9条ネットは27万余の獲得にとどまり、議席には遠く及びませんでした。一昨日、昨日とポスターをお願いしていたところにお礼を言いつつはがして回りましたが、暑さが選挙本番中よりこたえました。

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