ヒロシマの日

恒例の反核・憲法フォーラム徳島の「ヒロシマの日」街宣は朝7:30から行いました。私は、久間章生前防衛大臣の「しょうがない発言」や今の内閣のこうした発言を生む土壌を批判し、市民の力で戦争のできる国への動きをくい止めようと訴えました。

その後、すぐに山中夫佐子さんの運転手として阿波市吉野町へ。阿波市婦人団体連合会吉野支部が主催する「戦争体験を語りつぐ会」は、吉野中学校2年生の皆さんを対象に毎年開催されているそうです。

お話のあとは婦人会の皆さんが朝から用意をしてくれた麦飯とすいとんをいただきました。みんなの口にあうように美味しく作ってくれていましたが、当時は「もっと味も薄く、野菜も少ししか入っていなかった。麦飯も麦ばかりで箸ではさもうとするとボロボロこぼれた」そうです。
流石に、お昼にこれだけだったので夕方にはお腹が空いて困りました。戦時中のひもじい思いはこんなものではなかっただろうと推測しながら我慢をしました。
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コメント
暑い中毎日ご苦労さまです。
当時は麦飯とスイトンならまだ良い方だったようですよ。毎日配給のカボチャだけ食べていると顔色が黄色くなったという話を聞いたことがあります。それとお芋(今の鳴門金時みたいに甘くなかったそうな)やカボチャばかり食べてると空腹でも食べたくなくなるそうです。
私の母(おいやし)は、当時のひもじい思いをしたトラウマがあるのか、冷蔵庫にいっぱい食品を詰めなければ安心できないようです。
投稿: Okaipo | 2007年8月 9日 (木) 11時02分
山中夫佐子さんも同じくトラウマで土地を持っていれば何か作ることができると、78歳にもなって(ゴメンナサイ!)今から山林を購入しようとされています。
投稿: たかがい千代子 | 2007年8月 9日 (木) 11時12分