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2007年12月31日 (月)

来年もよろしくお願いします

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 徳島市では昨日、初雪が降りました。昨夜も散らついたらしく、車の屋根だけには少し残っていました。今日の午前中も時折舞い寒い大晦日となりました。
 今年一年のご厚誼に感謝し、来年もどうぞよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。

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2007年12月29日 (土)

芳月

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 4年前の12月12日の入院以降、闘病生活を送ってきた母が24日早朝に息を引き取り、26日葬儀告別式を終えました。ご住職がお六日(葬儀の後の法要)の法話で、戒名の意味について話されました。母が亡くなった日、雲がかかりかすんだ満月は春の月のようでとても印象的であったので芳しい月ということから芳月で始まる戒名としたと言われました。私は24日の月は見ていませんが、奇しくも23日の写真に月を入れています。まさに霞んだお月様です。26日の帰路に見た月は少し欠けた大きな赤い月でした。月を見るたびに母を思い出すことになりそうです。

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2007年12月23日 (日)

やはり高検が上告、DV殺人高裁判決

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 連夜のような忘年会に、旗開きの準備、年賀状、来年2月の藍住町議選の応援等々、気持ちも身体も全力疾走のうちに今年も残りわずかとなりました。世間は三連休、クリスマスというのにいつものごとく我が家はいつもどおりで、年末の大掃除どころか小掃除もできずに新年を迎えそうです。写真はケンチョピアの夜景、今夜はまん丸お月様でした。
 吉野川DV殺人から丁度一年になる21日、高松高検は懲役30年を言い渡した高松高裁判決を不服とし、最高裁に上告しました。上告理由は「量刑判断に関する判例に違反するとともに著しく正義に反しており、承服できないので上告した」と新聞で報じられていました。11日に判決を聞いて以来、釈然としていなかったのですが、上告のニュースに少し救われた思いです。
 

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2007年12月11日 (火)

DV殺人控訴審判決「う~ん」

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 吉野川市DV殺人の控訴審判決が高松高裁で10時からありました。裁判長は「犯行は身勝手かつ自己中心的であり、極めて凶悪。被害者に落ち度はなく、DV防止法制度を無視するものであり、酌量の余地はないとした一審判決は妥当」としながら、「反省しており、一審後何度も面会に訪れ将来身元引き受けをすると確約する人が現れたことにより更生は可能」などとして、無期懲役とした一審の徳島地裁判決を破棄し、懲役三十年を言い渡しました。
 結審で検察が「二審になって急に反省していると言ってもそれで情状とはならない」という言葉に納得していただけにどうも釈然としないのですが。

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2007年12月 9日 (日)

師走

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 午前中は、「徳島市フェスティバルあい」のミニイベントであるセクシュアル・ハラスメント入門講座に参加。講師はフェミニストカウンセラーの河野和代さん。
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 1時からは「八の日行動」、30人が徳島駅前でアピール行動。代表委員の池田芳美さんら4人がマイクを握りました。
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 自治労プラザで総会。「八の日行動」そのものは1982年12月8日から始まりましたが、「八の日・平和を守る女たちの会」を結成したのは県評が労働界再編で県評センターに移行した1989年です。その後、県評センターは人権・平和運動センターとなり現在にいたっていますが、当時は組織がどうなるかわからず、「八の日行動」を続けるための会を作ったのです。だから総会は19回となっています。
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 記念講演は脇卓司前人権・平和運動センター議長から「平和の時代に考えよう~過去・現在・未来~」と題して話していただきました。
 
 夕方はアイ女性会議の「自由に考え、自由に学ぶ 山川菊栄の生涯」をテキストにした学習会、さらにその後は遅れて忘年会に参加。「師」ではないのですが全力で「走」った一日でした。

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2007年12月 7日 (金)

民主主義にとって情報がどれだけ大事か

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 12月8日は太平洋戦争の開戦日です。私が事務局を担っている「八の日行動」はその8日を忘れないようにとの思いで始まり、明日で丸25年を迎えます。明日は「八の日・平和を守るおんなたちの会」総会で、この四半世紀の活動についても振り返ることとしています。
 昨夜は、人権平和運動センターの主催で一足早く「12.8集会」が開催されました。自衛艦がテロ特措法に基づきインド洋において「対テロ戦争」であるアフガン攻撃のための給油を行ってきたと説明されていたものが、実はイラク攻撃のために使われていたことを情報公開でつかんだピースデポの梅林宏道代表が講演をしました。まず、航海日誌などから事実を暴露した経過を説明し、民主主義にとって情報がどれだけ大事かということを訴えました。さらに給油問題の背景を説明し、日本は国際平和にどのように貢献するか提起されました。今話題になっているISAFは変質しアメリカのOEFと一緒になっており、ずっと参加していたカナダでさえ退こうとしている。日本はまず「平和の理念型」を国会で確認することが大事だ。どういう型でやるのかが決まらなければ応用問題はできない。しかし、その理念型が固まらない。固まれば国連に持ち込む力が日本にはあるのだがと残念そうにまとめられたのが印象的でした。

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2007年12月 6日 (木)

国労闘争団を支える会総会

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 国労闘争団を支える徳島の会第6回総会が、昨夜、港湾福利厚生会館において開催されました。「一人も路頭に迷わせない」と言って、国鉄からJRになり20年。国家的不当労働行為で解雇された仲間は20年間闘い続けてきています。
 記念講演では、佐賀県から兵庫に単身赴任して運動を広げている大串潤二さんから「国鉄闘争20年の体験から見る今日の労働運動の課題」と題して、1969年に国鉄に就職、マル生闘争での弾圧、人活センター、清算事業団、解雇、四党合意から鉄建公団訴訟へ、そして闘争団からも解雇され兵庫へという20年の経過と気持ちや家族・仲間の支えが語られました。さらに、福知山線の事故についてJR西日本の責任はもちろんだが鉄道マン・労働組合として分割民営化を許した安全問題としての労働組合の責任にも言及し、最後に大衆闘争こそ最大の武器であると訴えました。

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