カウラ
8日の夜、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」というオーストラリアのカウラ捕虜収容所での日本兵大脱走事件をテーマにしたドラマが放送されていました。
私は20歳の時、総理府青年の船でパプア・ニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド、フィジーを訪問しました。その時に、シドニーからキャンベラへ向かう途中でカウラの日本人墓地を訪問したのです。カウラという地名は今も覚えているのに、その墓地に誰が葬られているか考えてもみなかった自分自身が恥ずかしいかぎりです。アルバムを出してみると確かに「WAR CEMETERY」と書かれていました。
もう一つ恥ずかしいことは、キャンベラの戦争記念館にあった特殊潜航艇のことです。何故、展示されているのか考えもせずに眺め、写真を撮りました。日本軍がシドニー湾から攻撃をし、市民19人を殺害したことを知ったのは、息子が買ってきた「美味しんぼ」を読んだ時ですから、訪問から20年くらい経っていたかと思います。親善交流を目的とした派遣団の一員として行きながら何も知らず、その反省が私の平和運動の根っこにあります。
カウラのことは訪問から34年も経て、やっと理解しました。知らないことは恥どころか罪だと痛感しています。
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