ヒロシマ、そしてナガサキ
毎年のことながら、この時期は毎日JR徳島駅前に出かけることになります。

8月6日、ヒロシマの日、反核・憲法フォーラム徳島での街宣。県教組の冨田書記長です。

8月7日、反核・平和の火リレーの2日目総括集会で、連帯のご挨拶。平和の火リレーも今年で21回目を迎えるそうです。炎暑の中を走られる皆さんにも裏方で支えられる皆さんにも本当に頭が下がります。

8日朝は、八の日行動。そして、今日はナガサキの日。マイクは全港湾四国地本の長尾委員長です。引き続き、反核・憲法フォーラム徳島の総会を持ち、終了後は「長崎」をテーマとした「みるく」の朗読会「平和を考える」に行ってきました。今日の長崎平和記念式典で田上富久市長は、今年が永井隆博士の生誕100周年にあたることから、博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という言葉を紹介し、核廃絶を訴えています。滅びの道を歩まないためには暑さに負けていられないと思いつつ、でも、暑かったー!
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コメント
徳島大空襲は7月3日なのか、4日なのかの疑問が解けました。
B29は3日の午後10~11時頃に徳島上空に飛来して、一旦通り過ぎて、1~2時間後に再び引き返して焼夷弾を落としたということです。ですから爆撃された日は4日として正解のようです。
以上の事は私の母に聞いたところ一発で答えてくれました。そろそろ寝ようかなと思っていた頃、空襲警報が鳴って防空壕に避難したもののB29は蔵元の連隊の方から南に通り抜けて行ったので、しばらくしてから壕を出たところ爆撃が始まって、一晩中逃げまわったそうです。いずれにしても爆撃は、数時間続いたわけですから、徳島大空襲の日は7月4日として良いということですね。
投稿: オッカイポ | 2008年8月10日 (日) 18時17分
早速の調査、ありがとうございました。実は私のPCには「緑の体験談」なるものが保存されております。それにも、他の人のお話でも「一旦通り過ぎて、引き返してきた」ということです。その引き返してきた時の攻撃開始時刻が3日でないかというご意見なのです。お母様の記憶の早い時間ばかりで計算すると、10時頃に通り過ぎ、1時間後に引き返してくれば11時ということになりませんか。
再度、時差の件も含めてよろしくお願いします。
投稿: たかがい千代子 | 2008年8月10日 (日) 18時27分