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2008年12月31日 (水)

今年もお世話になりました

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 「変」で、大「変」な年となった2008年が終わろうとしています。今年も本当に多くの皆さんにお世話になり、活動を続けることができました。心より感謝を申しあげます。
 写真は、11月29日の朗読グループ「アクティブ」発表会です。私は、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの「1945年のクリスマス」を読みました。日本で育った彼女が憲法草案作成に関わることとなり、日本女性への思いを込めて作業に携わったことが詳しく書かれた本です。日本国憲法24条を書いたことで有名なベアテさんには2000年のニューヨーク世界女性会議の折りにお目にかかりました(ホームページの「想いと思い」に写真があります)し、今年は9条世界会議・関西で講演を聴くことができました。今、9条と一緒に24条を変えようという動きがありますが、「変」えさせることのないように来年もしっかりがんばります。
 どうぞよろしくお付き合いください。

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2008年12月28日 (日)

まほらの丘

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 徳島大空襲の語り部の山中夫佐子さんの運転手として今年も何カ所かご一緒しました。写真は11月30日に全港湾四国地本青年部でのものです。山中さんは16歳で徳島大空襲に遭い焼夷弾の落ちてくる中を逃げ延びたこと、勉強をしたくてもできなかった女学校生活、戦後の食料不足など、ご自身の書かれた水彩画を見せながら鮮明な記憶をもとに話されていました。
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 その山中さんが「私は生かされた」の思いから社会に恩返しをしたいと佐那河内村で山を買い、雑木を伐採し、コテージを建て、四季折々の花や果樹が楽しめるようにと整備し、理想郷という意味を込めて「まほらの丘」と名付け、4月にオープンしました。そこのボランティアや利用申し込みの窓口が私になっていることから時々は出かけているのですが、今日はそこで餅つきがありました。年賀状を書き終えていないあせりを押さえて、半日お餅を丸めてきました。今年ももう3日、相変わらず大掃除もできないままのお正月となりそうです。

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2008年12月20日 (土)

防がなかった大人の責任として

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 コープ自然派徳島などが主催する「どうなるの?私たちの食べものとくらし~六ヶ所村核燃再処理工場から見えてくるもの~」という講演会に行ってきました。講師は京都大学原子炉実験所の小出裕章さん。放射線の説明から始まった話は、原子力発電の危険性、チェルノブイリ事故、再処理工場のしくみや原子炉等規制法の濃度規制を受けないことなどさまざまな例をあげてわかりやすい、でもとても怖いものでした。
 最後に、「再処理工場が運転されてしまえば、青森県を中心とした特に農作物は汚染されるだろうが、そのときに私たちはどうするか。消費者が拒否すれば生産者は破綻する。大地に根ざした食べ物を守り育てていくためにも消費者はそれを拒否するのでなく、受け入れるべきだ。ただし、汚染した食料を子どもに与えてはいけない。放射線被曝で受ける危険性が低くなる50歳以上の大人が、環境汚染を防がなかった責任を自覚しながら食べるべき」とまとめた言葉がとても心に残りました。
 「安全な物を食べるため」の話は今までにたくさん聞きましたが、くい止められなかった時の覚悟を聞かされたのは初めての気がします。

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2008年12月14日 (日)

アイでなくウイ

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 徳島市の2008フェスティバルあいミニイベントとして、私が代表世話人を務めている男女共同参画社会をすすめる会とFANの会の共催で「男女共同参画をめぐる論点」と題しての講演会を企画しました。講師は元神戸市議会議員の原和美さん。神戸市男女共同参画社会の推進に関する条例制定時に市議会議員として関わっていた経験から、具体的なやりとり、なぜ男女共同参画へのバッシングがおきるのか等話していただいた後、参加者と意見交換。最後に原さんは、「アメリカ大統領選でオバマ陣営は『イエス! ウイ キャン』のプラカードを掲げたが、麻生総理は私が、私が、と言っている。私たちも決めることから責任を持ち参画するウイとして力を作っていこう」と訴えられました。

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2008年12月13日 (土)

人らしくフェスタin四国

 JR採用差別問題解決を求める声を高めようと、東みよし町において「人らしくフェスタin四国」が開催され、370人が結集しました。
 舞台ではライブや講談、トークが、会場の外では北海道物産展、地元農産品バザー、焼きそば、焼き芋など盛りだくさんの企画でした。
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 まず、盧佳世さんのライブwith矢野敏広さん
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 続いては、シンガーソングファイター田中哲朗さん
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 さらに、趙博さん
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 一部のトリは神田香織さんの講談。演目は「千、四十七士 国鉄労働者(ぽっぽや)義士伝」
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 そして、この豪華なゲストを呼び集めたのは国労北見闘争団四国常駐オルグの中野勇人さん。
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 で、おこがましくもこの集会の司会を担当したヒデ&チヨです。
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 フィナーレセッション。最後に力強く団結ガンバローで、勝利への決意を固めあいました。

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2008年12月12日 (金)

矢野さんの遺影とともに街宣

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 海上自衛隊のインド洋での給油活動を1年間延長する新テロ特措法改「正」案が、今日の参議院本会議で否決された後、衆議院本会議で与党側三分の二以上の多数で再可決、成立させられました。
 反核・憲法フォーラム徳島は、夕方JR徳島駅前で抗議の街宣を行いました。矢野和友さんがお元気なら、一番にマイクを握られたのにと思い、遺影を抱いて訴えさせていただきました。
 米国による報復戦争は行き詰まり、アフガニスタンのカルザイ大統領は、反政府勢力タリバンとの和解交渉の仲介をサウジアラビアに依頼したと言明しているようですし、副大統領も「戦え戦えという支援国があるが、戦闘だけでは永遠に勝てない」と述べたそうです。日本は自衛隊派兵をやめて和平交渉に協力すべきです。

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2008年12月 9日 (火)

「12月8日」を繰り返さない

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 1982年から始めた「八の日行動」が昨日で丸26年を迎えました。しかし、私たちの行動や思いとは裏腹に、ビラ配りに対しては有罪判決、日教組には会場を貸さない、映画「靖国」の上映自粛など社会は息苦しくなってきています。二度と戦争による被害者にも加害者にもならないとの決意も新たにマイクを握りました。
 9時からは「八の日・平和を守る女たちの会」の総会を開催し、記念講演は崔永寛朝鮮総連県本部委員長に「日朝交流の歴史をたどる」というテーマでお願いしました。縄文時代から現在にいたるまでの日朝の関係、徳島とのつながり等を駆け足(全速力かも?)で、とてもわかりやすく話してくださいました。
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 夜は、徳島人権平和運動センターの12.8集会がありましたが、同じ建物の別の会場で防衛省の防衛問題セミナーがあったのでそちらに参加しました。「国際テロを根絶するために~インド洋での補給支援活動について~」というテーマで、中国四国防衛局、外務省総合外交政策局、海上幕僚監部がそれぞれの立場から講演を行いました。質問票に書かれたことにも答え(肝心な聞きたいことは「知らない」で逃げられましたが)、国民の理解と応援を得たいという姿勢はわかりました。「なるほどそういう説明をするのか」というおもしろさもありました。

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2008年12月 6日 (土)

「白雲の城」に送られて

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 徳島市に初雪が舞った今日、矢野和友さん(78歳)の葬儀告別式が執り行われました。新社会党徳島県本部顧問として、また同じ新社会党徳島総支部の同志として、そして何よりたかがい千代子を囲む会会長としてどんなにお世話になったか言葉では表しようもありません。一緒に写った沢山の写真の中で、今年5月3日のこれが最後のものとなりました。最後に一緒に出かけたのは、5月11日の長井健司さん殺害に抗議する会の講演会で、丁度地元放送局のテレビニュースに並んで映ったのをとても喜ばれていました。
 その後、検査入院、一度退院したものの7月末に再度入院。病院のベッドでもずっと本や新聞を読み、活動のことをいつも気にかけ叱咤激励してくれており、いずれまた街宣のマイクを握ってくださると思っていたのに、本当に残念でなりません。
 寒さの中、500人を優にこえていたと思われる参列者数が矢野さんの活動の広さと人徳を示していました。酔うといつも、氷川きよしの「白雲の城」で送って欲しいと言われていたので、遺言どおり「夢まぼろしの人の世は・・・」の曲でお見送りしました。でも、本当の遺言の実行は、矢野さんの遺志を継いでしっかり活動することだと思っています。

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