人民のための政治
今日は今年初めての「月曜の声」。マイクを握る前にチラシを配っていると、顔なじみの女性が「おめでとう!」と言いながら近寄って来られて「今年はどなになるんだろうな?頑張ってよ!」と激励してくれました。本当にこんな社会にしてしまった「政治の責任」はあまりにも大きいと言わざるを得ません。そして、それは政治家だけでなく私たち一人ひとりにもあると思うのです。
今年はリンカーン生誕200年です。ワシントンD.C.にリンカーン記念館があり、リンカーンの右手側の内壁にゲティスバーグ演説が刻まれています。英語が苦手な私でも、演説の最後の“government of the people, by the people, for the people”だけは読み取れました。「人民のための政治」にするためにも政治に対して「人民」が無関心であってはならないと思います。
記念館前に立つ46歳の私です。
ところで、この言葉が日本国憲法前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」に盛り込まれているのご存知でした?
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コメント
私も今のこの状況は、勿論国の代表総理大臣を含む、国民一人ひとりが生み出したのだと思ってます。世の中を悪くしたい人なんていないと思いますが、世の中を悪くするような政治に加担している、無関心でいるのは国民です。私は不登校だったので教科書がどういうつくりになっているのか知りませんが、学校で資本主義と社会主義の仕組みについてきちんと学ばせるべきだと思ってます。あとやはり日本の戦争責任を、ドイツの様にきちんとカタをつけるべきです。自虐史観といいますが、悪いことをしておいて反省するのは、子供でもわかる当然のことです。
投稿: ユシマ | 2009年1月 6日 (火) 05時15分
「責任」の取り方でとても印象に残っている川田悦子さんのお話。BSEが問題になった時、ドイツの担当大臣は「この問題が解決するまで私は牛肉を口にしない」と言い、日本の大臣は「牛肉は安全だ」と大口を開けて肉を食べて見せた。戦争責任もきちんとしないまま、薬害が出ても誰も責任をとらないまま。責任を明らかにすることが再発を許さない道だと述べておられました。
投稿: たかがい千代子 | 2009年1月 6日 (火) 09時37分
大企業の社長は、会社を倒産させても責任を取らなくても良いとか。それに比べて中小企業の社長は、家屋敷まで手放し、首をくくって責任を取らなければいけない。
無謀なインパール作戦を始めた日本陸軍史上最悪の将軍である牟田口廉也は、その後、士官学校の校長になり戦後も長生きして、下級兵士は白骨となり果てる。
天皇に責任を取らせてはいけないという部分は理解できても、その事を拡大解釈して上層部の責任を問わないとしてきたことが、この国をおかしくした原因ではないでしょうか。
投稿: オッカイポ | 2009年1月 6日 (火) 12時20分
戦争責任については軍部だけではなく殆どの人が考えずにきてしまったと思うのです。
ルポライターの鎌田慧さんが「アジアでの虐待や虐殺について戦後になっても旧従軍記者たちは書かなかった。戦時中に軍部と一体となっていた新聞社について検証したのは朝日新聞が戦後60年経って企画したのが最初」というようなことを書かれていました。
女性運動だってそうです。銃後で活躍できることを示すことによって婦人参政権を得ようと進んで戦争協力をした人たちが、戦後は口をぬぐって「女は命を生む性だから戦争に反対」と言っていました。
投稿: たかがい千代子 | 2009年1月 7日 (水) 16時37分