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2009年7月27日 (月)

新しい門出を祝う会

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 新社会党徳島県本部の北野静雄委員長が今月末をもって定年退職されることになりました。これからは仕事にしばられず自由に活動ができるということで、有志が呼びかけての「門出を祝う会」となりました。当日25日は、午前中は曇りだったのに皆さんが集まってこられる時間帯にはしのつくような大雨。流石に「嵐を呼ぶ男」だとのご挨拶もありました。
 労働組合、環境(とくに石けん運動)、平和、障がい者ボランティア等、さまざまな活動に関わってこられただけに全国各地からの幅広い出席者を得て、活動を振り返るスライド上映、北野さん夫妻も参加してのハンドベル演奏、北野ファミリーを中心としたバンド演奏、ゲームと盛りだくさんの楽しい会でした。
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 最初は司会者席にちゃんと立っていた私、そのうちに会場中コメントを求めて歩き、最後の方では舞台の上までもあがってしまったようです。


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2009年7月22日 (水)

いよいよ解散、総選挙

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 「いよいよ」と言うか「やっと」と言うか、昨日衆議院が解散されました。今日の新聞紙面には「追い込まれ解散」「やけくそ解散」「涙目解散」「泣きべそ解散」・・・、さまざまな表現がなされていました。これから暑い中、8月18日公示-同30日投票日に向けて「盆も正月もない」という表現がありますが、まさにそのとおりの熾烈な闘いが始まります。
 私は7月の参議院選挙に立候補したことがありますが、選挙戦初日に、顔は化粧のおかげで無事でしたが日焼け止めを塗っていなかった耳たぶと腕をやけどしてしまった苦い(痛い?)想い出があります。
 と、個人的なことはおいといて、本当に今度の選挙は政治を変える大きなチャンスです。先日の世論調査では、今回投票に行くつもりの人が96%ということです。くらしをズタズタにされた怒りの一票を必ず投じに行きましょう。
 写真は、18~19日に徳島市で開催された新社会党全国青年交流会で地元県本部として挨拶させていただいているところです。
 

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2009年7月14日 (火)

高速道路は安かったけれど眠かった

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 11~12日に第14回労働大学まなぶ友の会全国交流集会が別府で開催されました。愛媛県八幡浜市から別府への航路はあるのですが、高速道路1000円乗り放題の魅力に負けて瀬戸大橋を渡り山陽道を走って行きました。運転を交代しながらとは言え、夜中に出て朝5時に下関。
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 13時から翌日12時まで杉の井ホテルで集会。帰路も同ルート、2時間ずつの運転で無事帰着しました。そして昨日はいつものように徳島駅前で7:30から「月曜の声」。来客も続き一日中バタバタと、とにかく眠かったです。

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2009年7月 5日 (日)

もめん針で傷の縫合をしたんです

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 太平洋戦争の敗戦間近い7月4日、徳島市は米軍のB29爆撃機による空襲を受け約1000人の方が亡くなり、負傷者2000人を数え、市内の62%が焼けたと記録されています。私が代表委員の1人を務めている反核・憲法フォーラム徳島は、毎年この7月4日に「徳島大空襲を語るつどい」を開催しており今年で12回を数えます。昨日は土曜日だったので昼間に開催したこともあってか予想を大きく上回る140人の方に参加いただきました。
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 今回は3人の方に語りべをお願いしました。自宅前の田に落ちていた焼夷弾の残骸を持参し自宅や近所に落ちた焼夷弾による火災を防いだ体験を語ってくれた方、降りそそぐ焼夷弾の中を逃げまどった旧制中学3年生当時のことを話してくれた方、また当時看護婦をされていた方、3人とも生々しい体験談の最後は「もう戦争はこりごりです」の言葉で締めくくられました。看護婦さんだった志満さんは、当時20歳。川に飛び込み何とか助かった後、仮救護所で不眠不休で水だけ飲んで空襲で焼けただれた人たちの処置にあたり、傷を縫合するにも木綿針や布団針で代用したこと、暑いさなかなので傷口にはウジ虫がわき悪臭が漂っていたこと等を訥々と語ってくれました。
 会場からもたくさんの体験談が報告され、みんなで不戦の誓いを新たにしました。

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