教育は平和の礎
先月9日にお知らせしていた伊藤和也君追悼写真展プレ企画、「私が見たアフガニスタンの教育と人々」講演会
を予定どおり29日に開催しました。鳴門教育大学の近森憲助教授からは①アフガニスタンに関する面積や言語などの基本データ②教育プロジェクトの概要③自然や子どもたちの様子を写真を交えて説明を受けました。最後に「教育は平和を構築するための一つの礎であると同時に、平和であることによってはじめて充実発展するものである」と延べましたが、「教科書一冊配るにしても道が安全でなければならない」という言葉は本当に重く感じました。
また、アフガニスタンのファイザーバードから教員留学生として鳴教大で今年4月から勉強しているファルザナさんからもタリバン政権下とそれ以降の女性の教育や行動等について話してもらいました。
この写真展の実行委員長を徳島大学三回生の2人が担ってくれています。先日、県政記者室で記者会見をもちましたが、若い2人がなぜやろうと思ったのか会見終了後も取材が続くという異例の形となりました。
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コメント
教育は平和の基礎、、、まさにその通りだと思います。
現在、中国の学生を相手に日本語を教えていますが、歴史、文化の講義では、戦争の話題を避けては通れません。その時、お互いにあまり触れたくない雰囲気に包まれます。
が、生徒はまだ日本語科の生徒なので、理解してくれますが。今の中国の80年代、90年代生れには国が叩き込んだ偏見がそのまま受け入れられています。真実を知るにもその手段さへ絶たれています。そこが政治の介入するいやな場面でしょうね。
ペシャワル会の件(伊藤さん)については、あまり触れたくはありませんが、実際に私が行った40年前と背景が同じなんです。つまり、それくらい長い戦火の中で、国が変わって
いないという現実です。それを知った上で派遣したのか?
それは知りようがありません。それに伊藤さんは、他の国と
変わった所へ行けると言う期待感で行ったのかも知れません。そんなことを考えると、何か府に落ちないものがあります。アラブ、イスラエルに滞在して、その両サイドを見てきた私からすれば、アラブはイスラエル人を殺す教育をしてきました。そしてイスラエルはどう守るかを教えているわけです。自分たちが生き残るために。
単なる興味や、一時的な共感で第三者が足を突っ込める場所ではないということです。教育の普及の前に、彼らがまず
自ら変えなくてはと考えない限り、理解は得られないのではと考えてしまいます。カルザイにしても所詮は一部族の長にしか過ぎません。長いアフガンの歴史を、欧米や日本の流儀で簡単に変えられるはずがないのです。
そのあたりを理解した上で、NGO,NPOの皆さんが動いているのかどうかは分かりません。
が、どちらにしても命がけと言うことなら、かつての南條さんのような戦場カメラマンとしての生きざまと同じように
認めますが、、、。
長々と、勝手なことを書きましたが、そう考えている人間も
いるということを知っていただければ、幸いです。
Hokalon
投稿: Hokalon | 2009年10月 6日 (火) 01時26分