今なお戦禍を伝える遺跡
憲法記念日の3日、新町橋東公園で九条の会徳島などでつくる実行委員会が「徳島九条まつり」を初めて開きました。気軽に参加できる戸外の催しを通じ、平和を考えてもらおうと初めての企画でしたが、大勢の家族連れらが訪れてくれました。
特設ステージでは沢田研二さんの「我が窮状」の歌唱コンテストやフラダンスなど楽しい演出が続きました。
また、徳島大空襲の戦災跡を訪れる「ピース・ウオーク」には45人の参加があり、6キロのコースを歩き、徳島大空襲をくぐり抜けた遺跡を巡り、平和について考えあいました。これはコースの最後、国際東船場113ビル(旧高原ビル)です。このビルは当時珍しかったドイツ製亀甲網入りの窓ガラスのおかげで、1階の一部を除き戦禍を免れましたが、大火による熱割れ、縦横に走る亀裂などが空襲の凄まじさを伝えています。
さらに、城山の防空壕跡を見て徳島中央公園を通っている時、空襲体験者の方が「空襲の一週間後にこのあたりを歩いた。多くの被災者がいたことと、この大きな銀杏の木がブスブスと燃えていたことが記憶にある。でもその木がこうして今も新芽を出していることに感慨深いものがある」と語ってくださり、思わぬ語り部出現に皆耳を傾けました。
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