« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月26日 (月)

戦争と地域社会

Dscf8228
 四国地域史研究連絡協議会などの主催でシンポジウム「近代四国における戦争と地域社会」が開催されました。太平洋戦争終結から65年、徳島県立博物館では特別陳列「海を渡った人形と戦争の時代」、図書館では企画展「図書委員が選ぶ戦争の本」など今年度の文化庁美術館・歴史博物館活動基盤整備支援事業「徳島平和ミュージアムプロジェクト」として種々のイベントが続いています。今回のシンポもそのひとつです。
 高知大学準教授の小幡尚さんから「高知県における日露戦争戦没者慰霊」について、香川県立ミュージアム学芸員の野村美紀さんから「善通寺における乃木神社・護国神社の建設」の報告。
 愛媛からは「戦略爆撃と中小都市空襲~第20航空軍による愛媛県への空襲を中心に~」と題して藤本文昭・今治明徳高校矢田分校教諭から映像も交えての報告。徳島大空襲は7月4日未明で、同日に姫路、高松、高知も空襲を受けていますがそれは決して偶然ではないとして、1940年の日本の国勢調査を元にした全国180都市の表の存在を挙げていました。1位東京、2位大阪と始まり徳島が37位、40位が高松、42位高知、43位姫路となっており、まさに戦略爆撃であったと指摘されました。
 最後に徳島からは「戦時体制の進展と徳島の農村女性」について摂南大学の佐藤正志教授が発表しました。具体的活動を紹介しながら徳島における女性団体の設立と発展などについて述べ、戦争の被害者であったと同時に「翼賛」・総力戦体制の主体的担い手としての女性の姿を明らかにしました。
 流石に歴史の研究家ばかり、本当に中味の濃い話ばかりで4時間があっという間でした。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 9日 (金)

戦争は起こしてはいかん

Dscf8210
 「徳島大空襲を語るつどい」の第7回と第9回で語りべをし、その後、さまざまな機会に徳島大空襲の体験談を語っている山中夫佐子さんが7日、八万中学校2年生222人の前で戦争の悲惨さを訴えました。
 いつものように生徒一人ひとりの目をしっかり見つめ、「勉強をしたくてしたくて、でも農家へ稲の株切りに行き、軍需工場へ飛行機の部品の鋲打ちに行かされる毎日で勉強ができなかった」「米軍機の機銃掃射では肩先を弾丸がかすめた。空襲の時には目の前を逃げていた人が焼夷弾の直撃を受けて亡くなった。同級生も防空壕から出たところを直撃され死んだ。生かされている自分は、実際にこの徳島で起きたことを伝えていきたい」と述べ、最後に「サッカーでも最初は無関心な人が多くても始まれば日本の応援をする。戦争だってやり始めたらみんな必死になる。だから戦争は始めたらいかん」と力をこめて訴えました。
 何度、山中さんの話を聞いたかわからないほど聞き水彩画も見てきましたが、その度その度に胸を打たれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 6日 (火)

65年経っても夢に見る

Dscf8184
 死者約1000人、負傷者約2000人の犠牲を出し、徳島市内の6割を焼失させた徳島大空襲から65年。今年も反核・憲法フォーラム徳島の主催で「徳島大空襲を語るつどい」を開催しました。
 今年の語りべは男性3人。軍歌などを交えて当時の世相を話した中西薫次さん(75歳)、徳島大空襲前の秋田町爆撃で九死に一生を得た横山正さん(76歳)、津田地区の4度にわたる爆撃について詳しく焼失軒数なども報告してくれた林信義さん(82歳)、それぞれ65年前のこととも思えないほど生々しい体験談でした。会場からも「今も空襲の時の様子を夢に見る、地獄絵だった」との発言もあり、100人の参加者が真剣に耳を傾け、「戦争は絶対してはいけない」との思いを固めあいました。
 最後に「『徳島県平和の日』の条例制定と県民の人権擁護を優先した対応を求める決議」を採択し、それに基づき昨5日には、県議会議長宛に要請書を提出しました。


 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »