海を渡った人形と戦争の時代
徳島県立博物館で特別展「海を渡った人形と戦争の時代」が開催されています(9月5日まで)。
1927年(昭和2)、排日機運が高まっていたアメリカから宣教師ギューリック博士の呼びかけによる友情と平和の使者「青い目の人形」約13000体が日本に送られ、持参したパスポートや着替えと共に全国の小学校や中学校に届けられました。そのお礼として、約80㎝の超特大の日本人形(答礼人形)が友禅縮緬の振り袖の袂にパスポートを入れ、箪笥・長持・鏡台・針箱・ぼんぼり・茶道具・日傘などのお道具を携えてアメリカへ贈られました。
それから65年、ワシントン州スポーケン市で武庫川女子大学(兵庫県西宮市)アメリカ分校日本文化センター館長として勤務していた高岡美知子さんが同市博物館で「ミス徳島」と出会い、以来、全米を訪ね歩き44体の現存を確認し、2004年には「人形大使――もうひとつの日米現代史」(日経BP社)を出版しています。
今回、その「ミス徳島」が里帰りをし、「青い目の人形・アリス」と並んで展示されています。同展での展示の中には「青い目をした人形 憎い敵だ許さんぞ 仮面の親善使」と題した新聞記事があります。日米開戦により多くの人形が敵国の人形として処分され、徳島県に贈られた152体のうち現存しているのは女性教諭がひそかに物置に隠して守られた神山町神領小学校のアリス一体のみです。
アメリカに贈られた答礼人形もまた反日感情の高まりにより市民の目に触れない所に格納されたり博物館を離れ個人の手に渡ったり自然災害で失われたりしています。
高岡さんは「人形大使」の終章を「『友情人形は戦争を防げなかった。あの計画は失敗であった』と言う人がいる。けれどもそれはあまりに短絡的に過ぎはしないか。人形が防げなかったのではない。あくまで、人間が戦争を防げなかったのである」と書き始め、焼夷弾の雨にさらされた体験を持つ身としてイラク戦争勃発時に戦争当事国にいた思いを綴り、太平洋戦争時の日系アメリカ人強制収容所抑留問題にまで言及しています。
並んで立つ「ミス徳島」と「アリス」を見つめて、「二人は日米関係の歴史の光と影の部分を語る生き証人」と語る高岡さんに、最後に一言と求めると「人形は語る 伝えるは人間」「人形交流は人間交流」と私の手帳に記してくれました。
実はこの高岡先生、36年前に私が総理府第8回青年の船に参加した折の副団長でした。この企画展のおかげで何度もお目にかかることができて、私には「ミス徳島さまさま」というところです。
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