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2010年8月30日 (月)

海を渡った人形と戦争の時代

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 徳島県立博物館で特別展「海を渡った人形と戦争の時代」が開催されています(9月5日まで)。
 1927年(昭和2)、排日機運が高まっていたアメリカから宣教師ギューリック博士の呼びかけによる友情と平和の使者「青い目の人形」約13000体が日本に送られ、持参したパスポートや着替えと共に全国の小学校や中学校に届けられました。そのお礼として、約80㎝の超特大の日本人形(答礼人形)が友禅縮緬の振り袖の袂にパスポートを入れ、箪笥・長持・鏡台・針箱・ぼんぼり・茶道具・日傘などのお道具を携えてアメリカへ贈られました。
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 それから65年、ワシントン州スポーケン市で武庫川女子大学(兵庫県西宮市)アメリカ分校日本文化センター館長として勤務していた高岡美知子さんが同市博物館で「ミス徳島」と出会い、以来、全米を訪ね歩き44体の現存を確認し、2004年には「人形大使――もうひとつの日米現代史」(日経BP社)を出版しています。
 今回、その「ミス徳島」が里帰りをし、「青い目の人形・アリス」と並んで展示されています。同展での展示の中には「青い目をした人形 憎い敵だ許さんぞ 仮面の親善使」と題した新聞記事があります。日米開戦により多くの人形が敵国の人形として処分され、徳島県に贈られた152体のうち現存しているのは女性教諭がひそかに物置に隠して守られた神山町神領小学校のアリス一体のみです。
 アメリカに贈られた答礼人形もまた反日感情の高まりにより市民の目に触れない所に格納されたり博物館を離れ個人の手に渡ったり自然災害で失われたりしています。
 高岡さんは「人形大使」の終章を「『友情人形は戦争を防げなかった。あの計画は失敗であった』と言う人がいる。けれどもそれはあまりに短絡的に過ぎはしないか。人形が防げなかったのではない。あくまで、人間が戦争を防げなかったのである」と書き始め、焼夷弾の雨にさらされた体験を持つ身としてイラク戦争勃発時に戦争当事国にいた思いを綴り、太平洋戦争時の日系アメリカ人強制収容所抑留問題にまで言及しています。
 並んで立つ「ミス徳島」と「アリス」を見つめて、「二人は日米関係の歴史の光と影の部分を語る生き証人」と語る高岡さんに、最後に一言と求めると「人形は語る 伝えるは人間」「人形交流は人間交流」と私の手帳に記してくれました。
 実はこの高岡先生、36年前に私が総理府第8回青年の船に参加した折の副団長でした。この企画展のおかげで何度もお目にかかることができて、私には「ミス徳島さまさま」というところです。


 

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2010年8月27日 (金)

借金を抱える裁判官・検察官・弁護士

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 「司法修習生の給費制維持」緊急市民集会が徳島弁護士会館で開催されました。法律家(裁判官・検察官・弁護士)になるには大学に4年、法科大学院に3年通い司法試験に合格後、修習生として1年の実習が義務づけられています。司法修習は平日フルタイムで行われ、アルバイトは禁止されます。そこで、修習中の生活費として給与が支払われてきました。ところが、この11月から給費制を廃止し貸与制になるというのです。
 集会では400万円以上の奨学金を返済している若手弁護士や教育ローンなどの借金が1200万円あるという司法修習生の実状が報告されました。今でも修習生の53%が奨学金などの借金を抱え、その金額は平均で318万円です。給費制が打ち切られればさらに約300万円の借金が上乗せされることになります。金銭的負担から法律家を断念する人が増えているのに、ますます道は狭くなります。さらに、法律家を目指す人だけの問題でなく、借金を返さなければいけない弁護士は非正規労働者の事案や環境などお金にならない裁判は受けてくれなくなるのは必然で、まさに私たちに直接関わってくる問題です。
 小泉構造改革がこんなところにまで影響を及ぼしているのに驚きました。

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2010年8月25日 (水)

スーパー残暑

 23日は暑さが和らぐ時期とされる二十四節気の「処暑」でしたが、今年は「残暑」というには余りにも厳しい暑さが続いています。スーパー残暑なる言葉まで飛び交う昨今です。
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近所の老人保健施設の納涼祭に行ってきました。今年は本番の阿波踊りを見に行く機会が無かったのですが、思わず天水連の阿波踊りを見ることができて良かったです。お年寄りも大喜びで、またスタッフの皆さんの一生懸命盛り上げておられる姿にも頭の下がる思いでした。
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新社会党徳島県本部第16回大会も終えました。最近、本人の写真が少ないとの声をいただいたので、恐縮ですがアップで登場させていただきました。今年度も引き続き県本部書記長として全力で頑張ります。

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2010年8月15日 (日)

お盆も終わり

 「お盆くらいはゆっくりできるのですか」と聞いてくださる方が多いのですが、残念ながらお盆休みなるもののかけらも無かったような毎日です。
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 唯一、お盆の行事が14日の父の初盆でした。今年は同じ地域で亡くなられた方が多かったということで、合同の大きな水棚でした。

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 今日15日は終戦の日(敗戦の日)の平和行動。11時から新町で徳島人権・平和運動センターの街宣があり、私もマイクを握り、昨日叔父から聞いた戦時中の体験談も含めて平和への思いを訴えました。
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 13時からは徳島駅前で反核・憲法フォーラム徳島主催でシール投票。今年のテーマは、菅直人首相の諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄最高経営責任者)が非核三原則見直しや、事実上の武器禁輸政策である武器輸出三原則の緩和を提唱するなど、これまでの安保政策の抜本的な転換を提起していることから、「非核三原則」としました。
 一時間の投票呼びかけで90人が協力してくれ、「非核三原則」を「守る」が69人、「見直す」が13人、「わからない」が8人という結果になりました。
 今日は偶然北海道函館から車いすで全国一周をされている武藤さんという方が行動場所で休憩をされていて、準備をしている私たちの幟旗に「反核」の文字が見えたのでと声をかけてくれた上にマイクを握りビラまきを手伝ってくれたのです。これから四国88カ所も回られるとのことで再会を約して別れましたが、武藤さんからは「核兵器を廃絶できなければ私たちもまた加害者の1人です」と重い言葉をもらいました。


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2010年8月10日 (火)

八月

 徳島市では12日から阿波踊りが始まります。もう街は桟敷もできあがり、ぼんぼりも飾られ本番を待っています。私はと言えば、8月は毎年のことながら平和行動が続きます。
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 8月5日、反核・平和の火リレー徳島駅前集会で連帯の挨拶

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 8月6日、広島忌の街宣行動

 8月7日
 平和へのメッセージを発信する朗読会「平和・未来へのメッセージ」(徳島朗読協会主催)が新町橋東公園でありました。カメラを忘れていったので写真はありませんが、川面を渡ってくる風に吹かれる会場で、心にしみ入る朗読を聞けることが平和そのものだと痛感しました。

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 8月8日、八の日行動

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 8月9日、長崎忌街宣行動


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2010年8月 3日 (火)

戦争を語り継ぐ会

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 阿波市婦人団体連合会主催で吉野中学校の2年生を対象にした「戦争体験を語り継ぐ会」があり、いつものように山中夫佐子さんの運転手として行ってきました。
 先日、浜松さんが秋田町に落とされた1㌧爆弾による被害の話の中で「家の焼かれた臭いに、当時は水洗トイレでなかったので爆撃により飛び散った汚物の臭いが加わり今も忘れることはできない」と言われていました。山中さんは、家の下に埋もれたままの死体の臭いがひどかったことに触れ「暑い、臭い、水が無い」空襲後の生活を語っていました。テレビの映像などでは悲惨さは具体的ですが、「臭い」にまで思いが及びません。
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 お話のあとは、婦人会の皆さんが用意してくださった「麦飯とすいとん」をいただきました。「今日のは美味しいけど、当時はこんなに具が入っていなかった」「あのころは食べるものが無くてはこべを採ってきて食べた」と山中さん。確かに春の七草の一つですから食べられるのでしょうが、私は食べた経験が無く、ひよこの餌というイメージなのですが。

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2010年8月 1日 (日)

木工会館で戦争資料展を開催中

 徳島市立木工会館で「薄れゆく戦争体験を憂えて~戦争資料展」が8月15日まで開催されています。戦後65年を迎えて、不戦の誓いを新たにしようと初めての企画とのこと。兵士が携行したり着用していた軍隊手帳や軍服、貴重な記録写真、銃後の暮らしを伝えるものなど約100点が展示されています。
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空襲時に着用していた防空ずきん
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灯火管制のために電灯につけた防空カバー
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 そして、今日は、会場で浜松利昭さん(77歳)が戦時中の教育や世相、そして徳島大空襲の体験を語りました。「徳島大空襲を語るつどい」でもお話いただいたことがありますが、前に聞き漏らしていたこともあり、また主催者としてでなく一聴衆として聞かせていただけたので、焼夷弾の落ちる様や倒れる人の様子、川や用水路に浮かぶ死体などが目に浮かぶようでした。8月15日、学校から勤労奉仕に行っていた先で玉音放送を聞いた時には、「負けてつらいとは思わず、やっと終わったと思うと嬉しかった」と12歳の少年に戻ったかのように話してくれました。

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