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2011年7月30日 (土)

徳島関係戦争資料展

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 徳島市立木工会館で明日まで「不戦への誓いと平和を祈念して~『徳島関係戦争資料展』薄れゆく徳島大空襲を憂えて~」が開催されています。今年は、石井町の稲飯直さん(81歳)が徳島大空襲の様子を描いた水墨画が展示されていました。先日開催された稲飯さんの体験発表は会議と重なって聞くことができなかったのですが、絵を拝見し、66年経っても記憶が鮮明なことに驚かされます。
 木工会館のイベント案内には「徳島大空襲や戦争の記憶が薄れつつあります。いまや戦争を体験した戦前生まれの世代の割合は僅かとなり、戦争体験を直接聞くことができる機会は今後、ますます減っていきます。このため、県民一人ひとりが戦争体験の風化に立ち向かう行動が大切になります」と書かれています。「戦争体験の風化に立ち向かう」という言葉を嚙みしめています。

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2011年7月19日 (火)

「おひさま」で見つけたポスター

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 NHKの連続テレビ小説「おひさま」は、安曇野と松本を舞台に戦前、戦中、戦後を明るく生きた女性の一代記ですが、今は夫が無事復員してきてヒロイン陽子に子どもが授かり、という時代です。婚家である蕎麦屋丸庵の前の板塀にポスターが貼られていますが、なんと「歸農しませう」の横に婦人に投票を呼びかけるこのポスターがあります。
 女性が初めて参政権を行使したのは1946年4月10日の衆議院議員選挙です。2008年7月に「戦争とくらし展」を開催した折りに三木ガーデン歴史資料館からお借りしたものの中にこのポスターを見つけた時は驚きました。しかも、戦後の紙不足で裏面が回覧版として再活用されていたのです。そこには「戦災給与金支払いの件」と「住宅新築に関する件」について記されていました。現物は三木さんにお返ししたのですが、写真に収めた私のお宝です。
 

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2011年7月 9日 (土)

第14回徳島大空襲を語るつどい

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 反核・憲法フォーラム徳島は今年も徳島大空襲があった7月4日に「語るつどい」を開催しました。毎年7月4日にこだわっているので、今年は平日の夜となり心配していましたが約80人が3人の生々しい体験談に耳を傾け不戦の誓いを新たにしました。
 語りべの一人、西條さんは焼夷弾が足に突き刺さったことが元で亡くなったお姉さんについて「かろうじて焼け残った浴衣一枚着せ棺におさめ焼け跡で拾った櫛で髪を整え道端の雑草を手に握らせて、空気の入っていないリヤカーに乗せて15歳の自分がそれを引き、会葬者は母一人という淋しい葬式だった」と声を詰まらせながら語りました。
 今年は米国立公文書館所蔵のフィルムを基に作成したドキュメント映像「日本空襲の記録」を初めて上映し、空襲の怖さがより感じられたとの感想も多く寄せられました。

 

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2011年7月 1日 (金)

「人殺しは教えられない」と教師を辞めた

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 小野ゑみ先生が過日逝去されたと新聞で報じられていました。95歳でした。以前にも書きましたが、先生には身に余る推薦文を書いていただきました。「花咲かそう 実践の底力」と題して「世上よく見る立候補時の公約が『お前もか』と思うほど、決まり文句なのにうんざりする。どこか嘘っぽい。だが、高開さんの公約は輝いている。公約の一つひとつに20年から30年近くの研鑽や実績があり、ときには外国まで足を運んだ、いわば底力が伴う項目ばかりなので説得力がある。『明るくて、情があり、働き者』の典型的な阿波女 高開千代子さんが描く住みよい故郷づくりをぜひ実現させたいものと思う」と。
 また、先生には「徳島大空襲を語るつどい」の第1回と第3回で語りべをしていただきました。当時29歳、4人の子どもを連れていた大人としてきちんと体験談を語っておきたいと言われ、紀元は2600年と讃え昨日や今日できたアメリカとは違うことが強調されていた時代であったこと、自分は子どもに人殺しを教えられないので教師を辞めたこと、とうもろこしの毛のような物を持ちあげたら死んだ人の頭であったことから今もとうもろこしは食べられないこと、花火も空襲を思い出して見られないことなど、多くのことを話してくださいました。
 写真は2007年県議選の出発式で同い年の板東ミツヱさんと撮ってもらったものです。本当にお世話になりました。ゆっくりとお休みください。

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