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2011年7月 1日 (金)

「人殺しは教えられない」と教師を辞めた

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 小野ゑみ先生が過日逝去されたと新聞で報じられていました。95歳でした。以前にも書きましたが、先生には身に余る推薦文を書いていただきました。「花咲かそう 実践の底力」と題して「世上よく見る立候補時の公約が『お前もか』と思うほど、決まり文句なのにうんざりする。どこか嘘っぽい。だが、高開さんの公約は輝いている。公約の一つひとつに20年から30年近くの研鑽や実績があり、ときには外国まで足を運んだ、いわば底力が伴う項目ばかりなので説得力がある。『明るくて、情があり、働き者』の典型的な阿波女 高開千代子さんが描く住みよい故郷づくりをぜひ実現させたいものと思う」と。
 また、先生には「徳島大空襲を語るつどい」の第1回と第3回で語りべをしていただきました。当時29歳、4人の子どもを連れていた大人としてきちんと体験談を語っておきたいと言われ、紀元は2600年と讃え昨日や今日できたアメリカとは違うことが強調されていた時代であったこと、自分は子どもに人殺しを教えられないので教師を辞めたこと、とうもろこしの毛のような物を持ちあげたら死んだ人の頭であったことから今もとうもろこしは食べられないこと、花火も空襲を思い出して見られないことなど、多くのことを話してくださいました。
 写真は2007年県議選の出発式で同い年の板東ミツヱさんと撮ってもらったものです。本当にお世話になりました。ゆっくりとお休みください。

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