2006年9月30日 (土)

みなまた海のこえ

Sdscf2918
 とくしま社会保険センター「朗読」講座生による発表会、回を重ねて今日は第10回となりました。今日も100人以上の方が耳を傾けてくださいました。今期は今まで以上に欠席ばかりなので、どこで聞かれても「森君代先生の不肖の生徒ですが」と言い訳をしている私は、石牟礼道子さんの「みなまた海のこえ」を選びました。今年は水俣病公式確認から50年にあたるということと、内容のある作品でなければ下手な私では伝えられないということで迷わずこの作品に決めました。
 半世紀を経て水俣病の風化が言われる一方で、今も、未認定患者の救済、補償問題は解決のめどさえ立たず、認定申請や集団訴訟が起こっています。また、水俣病以降も薬害被害やアスベスト被害なども放置され、とても水俣病の教訓が生かされたとは言えません。人のいのちや健康よりも企業のもうけを優先する政府の姿勢は残念ながら変わっていないようです。
Sdscf2924


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2005年11月 5日 (土)

初心忘るべからず

 美馬町の安楽寺において副住職の千葉昭彦さんのお話を伺った後、観世流シテ方の高橋京子さんの仕舞をはさんでのお話も伺うことができました。あまりにも感動的な一日だったので、高橋さんのことは明日ご報告することにして、今夜は安楽寺のことと千葉副住職のお話をお伝えします。
 安楽寺はもと天台宗の寺院だったものが鎌倉時代に関東の武将が入寺し、浄土真宗に改宗したという歴史のあるお寺です。丹塗りの重層門は県下五大門の一つに数えられているとか。そのお寺に能舞台を作り、折々に公演をされているそうです。千葉さんは町づくりグループ「美馬未来塾」の委員長としてもご活躍で、お話は楽しく、また一言ひとことが心にしみ込みました。
 その中で一番最後に言われたのが「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉です。よくこの言葉は使われるけれども初心にかえってはいけないというのです。以下、いただいた資料からの引用です。
 
 世阿弥の金言の中でも、この言葉ほど人口に膾炙したものも少なく、また誤解して伝えられたものも珍しい。世阿弥によれば、「初心」とは「初めての経験」「未熟な白紙の状態」をいうのであって、いわゆる「初志」の意ではない。「初心にかえる」とはかつての未熟な状態まで退歩することで、忌避すべき現象だった。--略--能役者の一生は初心の積み重ねであり、そのおのおのの体験を忘れずに保ち続けることが、終生の成功の秘訣--芸の限界を見せずに生涯を終える方策--とされているのである。決して後戻りを許さない峻厳な人生観を表明した言葉とも理解できる。

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